2014年6月26日木曜日

日経新聞社説

 安倍政権が従軍慰安婦問題に関する「河野談話」の作成過程を検証した報告書をまとめた。談話の書きぶりを巡り、日韓両政府が事前に非公式なやりとりをしていかことを明らかにした。新たな論争を生みそうだが、あえて提言したい。もう打ち止めにしよう、と。

 談話は1993年に当時の河野洋平官房長官が発表した。日本軍が慰安所の設置・管理に「直接あるいは間接に関与した」と断じ、「おわびと反省」を表明した。

 自民党の保守派などは「軍の関与や強制連行を示す証拠はない」と談話を批判してきた。安倍晋三首相は2年前の自民党総裁選出馬時に「子孫の代に」不名誉を背負わせるわけにはいかない」と談話の見直しに意欲をみせた。検証すると決めた時点では、談話の信ぴょう性を弱め、見直しにつなげる思惑があったようだ。

 そのわりに検証作業は元慰安婦16人からの聞き取り録など既存の文書を読み直すにとどまり、その証言が真実かどうかの裏付け調査には踏み込まなかった。

 談話の否定は日韓関係を一段と冷却化させかねず、首相の靖国神社参拝などと相まって欧米からも「歴史を書き換えようとしている」と懸念する声が出たためだ。

 首相は3月に国会で「河野談話を継承する」と明言した。結果として報告書は談話を堅持させたい側にも、破棄させたい側にも不満足なものとなった。政権運営として得策だったとは思えない。昔のできごとにはいくら調べてもはっきりしないことが少なくない。元慰安婦の証言の食い違いなどを指摘しても水掛け論になるばかりで、得るものは少ない。

 いま政府が取り組むべきは、長期的な日本の国益を見据えて外交政策を進めることだ。東アジアの不安定な安全保障環境を考えれば、民主主義・市場経済の価値観を共有する日韓が角を突き合わせてよいことはない。

 河野談話の蒸し返しはもうやめて、未来につながる日韓連携を考えるときだ。

2014年6月21日 日経新聞社説 2面

2014年6月4日水曜日

江川・大沼

日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと~「慰安婦」問題の理解のために

「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)という財団法人があった。村山内閣の1995年7月に発足。その最大の使命は、戦時中に日本兵相手の「慰安婦」となった海外の被害女性に対する償い事業だった。

その内容は、1)総理大臣の謝罪の手紙2)国民の募金から1人当たり200万円の償い金3)政府資金による1人当たり120~300万円ほどの医療福祉支援ーーといった「償い」を被害者に届けること。フィリピン、韓国、台湾、オランダ、インドネシアの5カ国で展開されたが、韓国では、日本政府が法的な責任を認めた賠償ではないとして、激しい反対運動が起きた。「償い」を受けようとする被害女性には、強い圧力が加えられた。このため、事業は難航。台湾でも同様の反発はあったが、現地の理解者の助けで、それなりの被害女性が「償い」を受け入れた、という。把握された約700人の被害女性のうち364人に「償い」を届け、基金は2007年3月末に解散。その活動ぶりは、今でもホームページを通じて確認できる(HPはこちら)。

基金に関わった人たちの回想録を読むと、被害女性たちにとって、総理直筆の署名がなされた手紙の意味が大きかったことが分かる。その文面を知って多くが涙を流し、号泣する人も少なくなかったという。ある人は「総理大臣が、日本が悪かったと詫びてくれた。これで身の証になる。先祖のお墓に入れる」と安堵し、「日本は私たちを見捨てなかった」と喜んだ人もいた。

それだけのインパクトを与えた総理の手紙には、こう書かれている。

〈いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて(中略)心からおわびと反省の気持ちを申し上げます〉(全文はこちら)

過去の歴史を直視し、正しく後世に伝える、とも記されている。そして最後は、今後の人生が安らかなものであるようにという祈りの言葉で結んでいる。

橋本龍太郎氏に始まり、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎各氏と歴代四人の総理大臣が署名した。この重みは、とても大きい。

昨今、「慰安婦」問題について、政治家が語る言葉を聞いていると、この重みが忘れられているような気がしてならない。

問題の所在はどこか

そんな思いで、同基金の呼びかけ人であり理事だった、大沼保昭氏(執筆時は東京大学大学院教授、現在は明治大学特任教授)の著書『「慰安婦」問題とは何だったのか』(中公新書)を読んだ。基金が行ったこと、行い得なかったことが非常に抑制的な筆致で書かれ、成果より反省点、問題点、今後の教訓とすべき課題が詳しく書かれていた。

「償い」の募金には、多くの国民が協力した。大企業などの協力は得られなかったが、職場での募金や、基金の事業を知った様々な人たちからお金が送られてきた、という。その額は6億円に達した。当時、把握できた「慰安婦」の半数に「償い」を届けたにもかかわらず、基金にはしばしば「失敗した」という評価も下される。それは、韓国での事業展開が難しかったからだ。その原因として、基金自身の問題に加え、次のような諸事情があった、と大沼氏は書いている。

〈韓国世論を変える努力をまったくといっていいほど払わなかった日本政府の消極姿勢。(中略)強硬なNGOの説得に動こうとしなかった韓国政府の無為。元「慰安婦」を「売春婦」「公娼」呼ばわりして韓国側の強い反発を招いた日本の一部の政治家や「論客」と右派メディア。みずからが信ずる「正義」の追及を優先させて、ときに元「慰安婦」個々人の願いと懸け離れた行動をとった韓国と日本のNGO。強固な反日ナショナリズムの下で一面的な「慰安婦」像と国家補償論を報じ続け、多くの元「慰安婦」の素朴な願いを社会的権力として抑圧した韓国メディア。そうした過剰なナショナリズムをただそうとしなかった多くの韓国知識人。韓国側の頑な償い拒否に、被害者を心理的に抑圧する独善的要素があることを批判しようとしなかった日本の「左派」や「リベラル」な知識人とメディア。これらさまざまな要因が相俟って、韓国における元「慰安婦」への償いに不十分な結果をもたらしたのである〉

問題は、どこか1つに集中して存在するのではない。

たとえば日本のメディアは、戦後責任に関わる様々な問題のうち、「慰安婦」問題のみを突出してとりあげ、しかも韓国の「慰安婦」問題ばかりに注目した。しかも、報道の仕方はしばしば扇情的で飽きっぽく、対立を煽るだけ煽り、成果より「失敗」を強調し、そして別の話題に関心が移っていく…。

この本で指摘されている問題は、今に至るまでまったく変わっていない。むしろ、日本の中にも強硬なナショナリズムが育ち上がってきた分、問題は膨らんでいる、と言えるだろう。いわゆる「論客」だけでなく、一般の人たちも、攻撃的で単純な強い物言いを放つ。相手に負けじと自分たちの正当性を言い募る。

そういう風潮の中で、「100%の結果は得られずとも、少しでもよりよい状態を実現しよう」と地道に積み重ねてきた人たちの思いや努力、それによって得られてきた成果は、無残に踏みつぶされてしまっている。

そんなことをやっていて、何が得られるのだろうか。むしろ、今こそ、かつて得た成果を確認し、それを伝え、足りなかったものを補う努力をすべきではないだろうか。

私は、どうしても大沼氏に話を聞きたい、と思った。明治大学法学部の事務局を通じてメールを送ると、大沼氏からすぐに反応があり、その日のうちにインタビューに応じていただけることになった。

大沼保昭氏が語る「慰安妇」问题

現状は長年のツケがたまった結果

ーー今の状況を、どう見ていますか。

国民の一部の間に--一部とはいってもそれがある程度の数なわけですがーー澱のように積もったネガティブで攻撃的な感情が、どす黒く淀んでいて、それが「本音」を発言する政治家を通じて出て来ている、ということではないか。

世論調査では、橋下共同代表の発言に批判的な声が多い。ホッとしたが、それで安心してはいけない。こうした調査では現れにくい、「そうは言っても、橋下さんもいいこと言ってくれている」という感情は、ごく普通にまともに暮らしている人の間にも広がっている。それを見逃すと、今後の判断を誤るのではないか。

ーーなぜ、そうした感情が膨らんできたのでしょう。

私自身は、1970年代から日本の戦争責任の問題に取り組んできました。90年代初頭くらいまで、私のような意見は確かにマイノリティではありましたが、着実に理解が広がっている手応えはありました。ところが1991年、初めて元「慰安婦」が名乗り出て、状況が変わりました。いわゆる「慰安婦」問題に火が付き、宮沢内閣で河野談話が出され、村山内閣の時に、国民参加で問題解決の道を探ることになり、「女性のためのアジア平和国民基金」ができて、私も12年間努力しました。多くの方が真剣にこの問題を考え、心からお詫びをしようと協力をしました。しかし、残念なことに、そういう国民の気持ちは、韓国でほとんど評価されなかった。

すでに経済状態も厳しく、フラストレーションがたまっている日本国民にとっては、「100%満足のいくものではないかもしれなけれど、真摯に謝り、精一杯の誠意を示した。なのに、ゼロ回答か…」という失望感が広がりました。そこから、「中韓に謝ってもいいことない。かえって居丈高な態度をとられるじゃないか。欧米もなんだ。自分たちだって植民地支配をしていたし、性の問題で後ろめたいことがあるのに、善人ぶってお説教か」という怒りが出てきた。

この怒りは、正当なものだと思います。日本の有力なメディアも、政治家も、私たち専門家も、そういう国民の思いを、韓国や中国や欧米に伝えることを怠ってきました。特に、政府の責任は大きいと思います。担当者は、自分が担当している期間は波風立てたくないと、首をすくめて嵐が過ぎるのを待つだけ。「私たちはここまでやってきたんだから、堂々と発信して、韓国のメディアとも戦いましょう」と何十回言ってもダメでした。

日本のいわゆる「良識的な」メディアも、韓国のメディアの問題点は、まったく取り上げない。むしろ、「国家賠償を行わず、法的責任は取らなかったのは不十分」という論調でした。

そうしているうちに、国民の怒りを、極端で目を背けたくなるような形で語り、行動する人々が代弁するようになりました。本来は正当な怒りが、薄汚い、偏見に充ち満ちた言葉で発信されてしまうようになってしまいました。

ーー先生はこの問題について、どう取り組まれてこられたのですか。

中国や韓国で講演に呼ばれると、必ずこういう話をします。

「日本はかつて侵略をし、植民地支配を行った。当時の価値観からすると、悪いことをしている認識はなかっただろうが、今日見れば、それは大変悪いことだった。日本は罪を犯した。それを反省し、贖罪の意味を込めて、多額の経済援助、技術支援を行ってきた。その結果、東アジアの安定と平和がある。これは、(ヨーロッパが支配していた)アフリカと比べて見れば分かるはずだ。日本人も神様ではない。あなた方と同じ俗人だ。だから、いくら努力してもまったく評価をされず、非難ばかりでは、疲れてしまうんだ」

でも、そういうことは、他の方はあまりやって下さらない。今のような問題は、この20年間のツケがたまった結果だと思います。

- 日本のジャーナリズムの責任は大きいですね。

そうです。しかも、大手の新聞社の方に話をしても、返ってくるのは弁解なんです。「社説はまともなんだけど、社会部が暴走した」とか。そうかもしれないけれど、では、あなたは社内で社会部の記者と膝詰めで「あなた方の思い込みが激しすぎないか」「過去の報道に反省すべき点はないか」という話をしましたか、と聞きたい。このような状況になったのは、ジャーナリズムが庶民の感覚をすくい上げることができなかったためでもある、という反省がないんですね。

ーーそういう中で「日本も主張すべきだ」という人たちが、アメリカの新聞に意見広告を出し、それに自民党総裁だった安倍氏ら国会議員が賛同するなど、積極的に「主張」を展開する政治家たちの行動も目立ってきました。

昨年4月、私がジョージタウン大学で教えていた時にも、大丈夫かなあと思う出来事がありました。ニュージャージ州のパラセイズパークという小さな町で、在米韓国人が慰安婦の碑を建てたのを自民党の国会議員が聞きつけて、外務省に「なんとかしろ」と言ったわけですね。総領事部が動いて市長に撤去を求めたが断られた。それがニューヨークタイムズに載ってしまった。そうしたら、今度は自民党の議員が4人、けんか腰で乗り込んで行って、やっぱり断られた。この時には、日本はなにをやっているんだ、という投書が新聞社にいっぱい来たそうです。まさに国辱ものなんですが、議員たちは意気揚々と帰っていったみたいです。政治記者などに聞くと、今の自民党にはリベラルな人はほとんどいないくて、確信的右翼のような方が多いらしく、心配になりますね。

ーー今は、「本音」を「分かりやすく」「シンプルに」語る人たちがうけています。

若い兵士の性欲処理は確かに「本音」でしょう。でも、「本音」というのは1つだけではありません。「慰安婦」となり厳しい生涯を生きなければならなかった人がいれば、自分が直接悪いことをしていなくても、「申し訳ない」という気持ちが湧いてくる。この気持ちだって「本音」です。なのに、前者だけが「本音」で、後者はきれい事のように描くのはおかしい。

ただ、そういう描き方は、この問題が建前ばかりで語られすぎた反動かもしれません。「慰安婦」だった人たちも、人間です。よりよく暮らすにはお金は必要だし、病気になれば病院に行く必要もある。それを言うと、「そういう言い方は、被害者の人間としての尊厳を侵す、第二次レイプに等しい」などいう批判が、被害者を支援するNGOあたりから飛んでくる。そういう建前ばかりが語られているからこそ、「本音」の発言が人々に受け、それを批判しなければならない、という不毛なことになってしまう。

多様性を認めることが必要

ーーこの本では、それぞれの問題点を挙げながら、この問題に関わるあらゆる人たちの意義を認めていますね。

そうです。たとえば、女性国際戦犯法廷。政府の関係者は全く評価しませんし、法的な要件は満たしていません。けれども、この法廷による審理と判決、それにこれに多くの人が関わったことが、被害者にどれだけ大きな満足感を与えたことか…。とても意味があることだったと思います。

考え方の違う人がやることを、一生懸命否定するより、「自分ができないことをやってくれている」と見ればいいんじゃないでしょうか。

それは、被害者支援のNGOも同様です。一本調子に建前を主張するのではなく、物事の多様性、人の心のひだのようなものを汲み取って欲しい。正義を追及しているとしばしば独善に陥ってしまうことがあります。私も、若い頃はかなり独善的だったので、正義という衣をまとってしまうと、一直線に突っ走ってしまう気持ちは分かるつもりです。でも、若い人が突っ走るなら年配の専門家が、NGOが突っ走るならジャーナリズムが、その姿を鏡に写して見せてあげて、「見てごらん。ちょっと猛々しく独善に見えないだろうか?」と指摘したり注意したりする役割があると思います。それがなされていない。

ーーたしかに...。

政府の中にも、一生懸命な人もいるし、絵に描いたような官僚もいます。被害者の経験や考えもいろいろです。
被害者も一様ではありません。「慰安婦」という言い方はごまかしだ、として"sex slave "と呼べという人たちがいます。確かに実態は(" sex slave"という)その通りだった、という被害者もいますが、そういう呼び方をされるのはセカンド・レイプをされているようで許せない、という被害者もかなりいるんです。でも、NGOはそれは認めないし、マスメディアではそういう声は報じられません。

基金の理事の中では、大鷹(山口)淑子さんが個々の元「慰安婦」の方とのつながりを持っていました。彼女はスターなので、多くの人が彼女の元に集まってきて、しかも誠実な方なので、その後のお付き合いが続くんですね。その中に、韓国で被害者のリーダー的な役割をさせられていた方がいました。その方がちょっと最近心配だ、と聞いて、私が大鷹さんからのお土産を持って韓国に行きました。そうしたら、「家に来てもらっては困る」とホテルに来て下さったのです。その時に、彼女は「重い病気になった時に自分を助けてくれた軍医さんはすごくいい人だった」という話をしてくれました。そしてこう言うんですね。

「私を地獄に連れて行ったのは、日本人だった。地獄から救ってくれたのも、日本人だった」

でも、世話をしてくれる人たちの手前、そういうことはなかなか話せない。

フィリピンでも様々な話を聞きました。日本が犯した罪とは別に、1人ひとりの人生には様々な襞があります。決して、一本調子、一面的なものではありません。同じ人でも、時期によって、気持ちが変わることもある。そこを汲み取りながら、寄り添っていくことが大事なんですね。オランダでは、非常に熟達したNGOが、被害者の多様な気持ちをしっかりすくい取っていて、その仲介で償い事業を行うことができました。ここでは、大使館の協力も大きかった。

ーーところが、メディアはそういうところは、あまり報じない。なぜうまくいったのかは伝えないで、対立状況ばかりに目を向ける。その結果、「慰安婦」の問題は韓国との対立点という印象になってしまいました。

それこそ、まさにメディアの責任だと思います。

総理の手紙を再評価する

ーー日本の総理大臣が書いた謝罪の手紙も、韓国や米国で評価されていないだけでなく、日本国内でも十分知られてないのではないでしょうか。

今からでも、ぜひ多くの方に見ていただきたい。そしてそれを、たとえば戦時中に強制収容された日系アメリカ人に対するブッシュ大統領の手紙と比べてみてください。そっけない大統領の手紙に比べて、はるかにいい内容だと思います。閣議決定がないから公文書じゃないと言うNGOや一部の専門家がいますが、きちんと内閣総理大臣という肩書をつけて、肉筆でサインしたものを1人ひとりに渡したんです。このことは、もっと知られて評価されるべきだと思います。

それから、日本の戦時中の責任の取り方について、しばしばドイツと比較されますが、こういうこともあります。台湾の被害者たちが、「償い」を受け取ったとしても、日本政府に対する国家賠償訴訟は妨げられないという保証を求めました。私たち基金はそれをぜひ実現しようと、政府と激論を重ねてきました。政府の中にはそうした保証には抵抗が大きかったのです。けれども、最終的に基金の主張が受け入れられました。ドイツの「記憶・責任・未来基金」では、補償を受け取る条件として、法的な請求を放棄するように求められます。その点で、女性基金はドイツの基金よりも優れたものになりました。

日本が誇るべきこと発信すべきことは何か

ーー最近、日本の主張をもっと発信すべきだという声をよく聞きます。安倍首相も、橋下大阪市長もそう言っています。でも、力づくで強制的に連れ去って売春を強要した証拠はないとか、日本だけじゃなく他の国もやってたじゃないのかとか、発信すべきは、そういうことではないように思うのですが…。力ずくの強制はなくて、別の仕事に就くような騙しで連れて行き、そこから自由に離脱できない状況であれば、十分強制的ではないでしょうか。よく聞く「強制はなかった」という主張は、有形力の行使はなかったが、欺罔はあった、と言っているように聞こえます。

強制を示す文書がないから強制もなかったというのは、実にナンセンスです。文書は証拠の1つであって、あれだけ地域も年齢も境遇も違う人たちが、細部では異なる点はあっても、大筋のところで話は一致しているわけです。これは証拠がない、というのとは違う。文書がないから事実がないことにはなりません。そもそも、そんな文書を作るはずもない。

ーーなのに、そういうことを認めるのは、自虐的だとかよよ...。

日本の民族、日本の国に誇りを持つことは大事なことです。誇りを持つに足る国だと思います。まず、そこははっきりさせましょう。特に、戦後の焼け野原から立ちあがり、豊かで安全で、自国より貧しい国には多額の経済援助、技術援助をする国を作り上げてきた。このことは、世界に胸を張って誇るべきことであり、もっと語られていいと思います。若い人たちにもぜひ誇りを持たせて欲しい。

ただ、だからといってかつてやった戦争まで、自衛のためであって侵略ではなかったとか、南京大虐殺はなかったとか、それは違うでしょう。南京の被害者は30万人というのは嘘だとーー嘘だと私も思いますがーーそれをギャーギャー言うことで誇りを持たせようというのは違うと思います。
日本が誇るべきは何か、を考えないといけないのではないですか。

私たちが誇るべきこと、省みること、内外に伝えるべきことは、それぞれ何なのか。
それを1人ひとりがじっくり考えていくことが大切だと、大沼氏の話を聞きながらつくづく思った。

YAHOO!ニュース 2013.5.25

2014年3月3日月曜日

浅羽

<悪魔の代弁人>を立てるかどうか、クライアントこそ問われている

慰安婦問題、竹島領有権紛争、在日コリアンに向けたヘイト・スピーチなど、さまざまな問題が浮上している韓国と日本。政治学者の浅羽祐樹氏は初めての単著である『したたかな韓国:朴槿恵時代の戦略を探る』(NHK出版新書、2013年)において、これからの日韓関係を考えるためには戦略とインテリジェンスが必要だと説いている。そのなかでもとくに重要と思われる<悪魔の代弁人>を中心に、本書についてのインタビューをおこなった。(聞き手・構成/金子昂)


<悪魔の代弁人>を立てて主張を鍛える


―― 本書は政治における戦略に注目して韓国や日韓関係について論じていらっしゃいます。とくに<悪魔の代弁人>という思考法は、政治だけでなくあらゆる局面で重要なものだと思いました。そもそも<悪魔の代弁人>とはなにかをお話しいただけますか?

<悪魔の代弁人(devil’s advocate)>とは、もともとカトリック教会において、ある人物を聖人と認めるに値するか否かを審問するさいに、あえて疑問や反論、批判だけを提示する役回りのことです。勝負事や交渉にのぞむ前に、みずからの論理や証拠の弱みをあらかじめ徹底して洗いだすことで主張を鍛え上げる。そんなアプローチです。

昨年、わたしが山口県立大学で受けもっている「国際関係論」という授業に、外務省で海賊対策の仕事をしている外交官の友人をまねいて講義をしてもらったことがあります。一年生にこんな話をしてくれました(詳しくは「『航行の自由』と陸での『船』造り」をご覧ください)。

海洋国家の日本にとって「航行の自由(freedom of navigation)」は死活的に重要です。「navigate」とは「行き先を定める」ことです。船長としては、まずは、海賊がでそうな場所をしっかりと見定めることで、かなり難をのがれることができるそうです。とはいえ、それでも、まったく遭遇しないというわけではありません。

そのとき、海賊にでくわしてから対応しようとしているようでは、積荷を奪われたり、拿捕されたりと、一大事になってしまいます。どれだけ避けようとしても、リスクをゼロにはできないのだから、大海原にでる前、陸にいるあいだに、船に簡単にのぼってこられないようにしておくとか、武装した警備員を常駐させられるように法改正をするといった準備をしておく必要があります。そもそも、海賊がでないようにするには、陸での治安回復やガバナンスがもっとも重要だそうです。

この心構えは実際の海だけでなくて、学生一人ひとり、わたしたちの人生もまったく一緒です。瀬戸内は鏡のように静かで穏やかな海ですが、かつては倭寇がいきかっていましたし、今日でも太平洋とつながっていて、いつ荒れるかわかりません。大学をでて今後ずっと安定した仕事があるとはかぎりません。港にいるあいだに、みずから行き先を見定めつつ、自分の船を造ってください。そのとき、べつの港では自分とは違うタイプの船造りをしている船長がいるということも知っておいてください。こんなアドバイスをしてくれたんです。

これは竹島の領有権紛争についても一緒です。「いざハーグ(国際司法裁判所)」となってから準備を始めていては手遅れになってしまうかもしれません。交渉事にのぞむ前に、相手側がどのようにでてくるか、トコトン考えなくてはいけませんし、プレゼンをするときはあらかじめみずからの弱みを徹底的に潰し終えてから、本番にいどまないといけません。「戦場」にでる前に、みずからが<悪魔の代弁人>となって備えをつねにしておこう、ということです。

本書ではわたしが、日本にとっての<悪魔の代弁人>になっているわけですが、<悪魔の代弁人>を悪魔と短絡すると、まるでわたしが韓国を礼賛しているようにみえてしまうでしょう。そうではなくて、「ああ、韓国がこんなに戦略を練っているなら、それに応じて日本も考えなくては」と思っていただけると嬉しいですね。



わかりやすい一本調子の論理より、複数の論理を


―― <悪魔の代弁人>を立てるとき、どんなことに気を付けなくてはいけないでしょうか?

当代最高の代弁人が相手側にもついているとみなすことが大切です。自分だけでなく、相手側も<悪魔の代弁人>を立てて弱みを潰しているのだと見立てなくては、傲慢で不誠実な態度になってしまいます。

クライアントの姿勢こそが、じつは、一番問われているんです。一本の筋道だけ考えて「これで必ず勝てる!」とみょうに強気な弁護士と、それでかりに負けてしまった場合にも対応できるように第二、第三の複数のシナリオを想定している弁護士のどちらが優秀でしょうか。

ややもすれば、前者の弁護士はわかりやすく、威勢がいい話をするので、つい頼れる人だと思ってしまいがちなのですが、冷静に考えれば、「この立論だけで竹島も尖閣も勝てるんですよ!」といっている弁護士なんて危なっかしくて、とてもじゃないけど雇わないと思うんです。

「主位的主張」と「予備的主張」という法律の用語があります。主たる主張が崩れてしまっても、それとはべつに予備的に準備しておいた主張で巻き返すことのできる人、あるいはたとえ負け戦になることが必至でも、ダメージを小さくするためにディフェンスするチャンスをひろげる弁護士のほうがいい。一つ目の堤防が決壊しても、次の堤防、さらにその次の堤防が用意されている方がいいわけです。

ちなみに、主位的主張と予備的主張のあいだには論理的な食い違いがあっても問題ないんです。同時には成立しない立論をして全然構いません。だから複雑にならざるをえず、わかりやすい主張が好きなクライアントからすると優秀な弁護士にみえないのかもしれないけれど、本当に頼りになるのは誰なのか、しっかりと見極めないといけないわけです。

フィクションを受け入れよ


―― 日本は<悪魔の代弁人>を立てられていると思いますか?

そのはずです。日中間で尖閣諸島をめぐる問題が生じたとき、外務省のホームページに「日中関係(尖閣諸島をめぐる情勢)」というまとまった文書が掲載されました。これを読んで合理的に考えるかぎり、行政官僚だけで書いているとは思えないんですよね。専門家を集めて、いろいろ綿密に戦略を練っているんだと思いますね。

日本はまだまだ経済大国ですし、教育水準も高い国です。この類の問題にたいして、戦略を立てていないと考える方が不自然です。


―― ただ、先の橋下大阪市長の発言しかり、石原前都知事の尖閣諸島買い取りの話しかり、はたからみると戦略的とは思えない動きもみられましたが……。

争点やこれまでの経緯についてよく知らない部外者が、主観的にはよかれと思ってしゃしゃりでてきたところ、国際ルールと違うところで「独自の戦い」をしてしまって、客観的には国益を傷つけてしまいました。威勢のいい言動さえすればなんでもまかり通ると思っている人がでてくるとかえって損をしてしまうことがあるということです。

それは韓国にとっての「独島」についてもいえることで、それまで通り静かに支配していればよかったのに、2012年8月に李明博前大統領が竹島を上陸することでむしろ、当事者間だけでなく国際的にも領有権紛争の存在が一気に注目されるようになってしまったわけです。

グーグルのトレンド検索にかけるとわかりますが、「島根県の竹島」という表現はこのとき生まれたんですね。それ以前は、そもそも島根県の位置ですら半数近く日本人が正確には知らなかったというのに(苦笑)。

この竹島上陸という、いっけん威勢のいい行動を通じて、韓国としてみれば、日本人のみならず国際社会にたいして、「韓国は、『独島』は韓国領であって外交交渉も司法的解決も必要ないといっているけれど、実際は日韓間には領有権紛争があるんだな」とはからずも知らしめてしまったんですよね。


―― 綿密に戦略を練っている人がいる一方で、事情を知らない人が騒ぎ立てて、むしろ不利になってしまっているわけですね。

双方、内政上の理由もあったと思いますが、慰安婦問題も竹島領有権紛争もそもそも二国間の問題というより国際的な問題なので、事情をよく知らないプレイヤーが首を突っ込むとたいへんなことになるんですよね。

威勢よく本音を喋っていると格好よくみえるかもしれません。でも国際社会ってある種の擬制のうえで成り立っているんですよね。1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約にしたって、極東国際軍事裁判の判決あるいは裁判結果を受けいれるということで主権を回復し、国際社会に復帰しているわけです。

そりゃいろいろといいたいことはあると思います。「勝者の裁きだ」とか「遡及法はけしからん」とか。その通りだとも思いますが、とにかくそれを全部受けいれているということになっているわけです。だから、それをくつがえすような言動、たとえば「侵略戦争の定義がよくわらない」とかいまさらいっても仕方がないわけです。「~~ということになっている」という擬制、フィクションを粛々と受けいれることで、そもそも戦後日本の政治外交が成り立っているわけですから。

でないと、アメリカからしたら、みずからリードしてきた戦後の国際秩序にたいして挑戦しているのは、いままでは中国だとうつっていたのに、「日本よ、お前もだったのか!」になってしまいます。中国はそういうところは賢いですから、「日本こそ歴史修正主義で挑戦国だ!」とすでに宣伝戦を繰り広げています。

ただ皮肉なことに、今回の橋下市長による一連の発言で唯一よかったことは、一地方の首長でまだ野党の共同代表にすぎない人物が地雷のありかをはっきりとしめしてくれたことですね。「そこを歩くと自爆するんだ」ってことが誰の目にもあきらかになりました。もしこれを政権与党のトップがやっていたらと思うとぞっとします。あの騒動を契機に、あきらかに、安倍総理はいろいろな言動を修正しましたよね。政治的な教訓は残りました。


韓国も<悪魔の代弁人>を立てている


―― もちろん韓国も<悪魔の代弁人>を立てていると考えたほうがいいわけですよね。

もちろんです。

韓国は「独島」領有権について、いっけんするとシンプルなことしかいっていません。「韓日間に独島をめぐる領有権紛争は存在しません。それゆえ外交交渉も必要なければ、国際司法裁判所をふくむ司法的解決にゆだねる必要もありません」と。日本の尖閣諸島にたいする主張と同じです。

でもじつは、非常に用意周到で、オランダのハーグにある国際司法裁判所に行くかもしれないという万が一の場合も考えて着実に準備をしているわけです。たとえば、韓国の外交部は、『独島イン・ザ・ハーグ』という小説で、日韓が竹島の領有権をめぐってハーグで法廷論争を繰り広げる様子を見事に描いた鄭載玟という現役の若い判事を独島法律諮問官としてスカウトしています。

かれが任官する直前に、「わたしは韓国の主張を擁護するのではなく、むしろ日本側に立って韓国の主張を徹底的に潰そうとする。それでも残るような論理と証拠こそが、いざというときに有用だ」といっていました。まさに<悪魔の代弁人>で、韓国政府はあえてそうした役回りを演じさせるクライアントというわけです。スカウトは「斥候」のことで、戦場で前線の様子をいちはやくつかむということですし、スカウトのモットーは「備えよ、常に」です。

実際、本当になにをやっているのかはっきりとはわかりませんが、かれは任官したあともツイッターを続けていて、「シンガポールを訪問しています」とつぶやいていたりします。公開情報でも、一つひとつピースをつぶさに集めると「一枚絵」がみえるときもあって、どんな目的の訪問で、なにをしているのかが推論できたりするんですね。

べつの例ですが、韓国では学校教育の場で、子どもたちに粘土で「独島」の模型をつくらせたり、「独島は我が地」という歌をうたわせたりと、熱狂的な「独島」教育や「反日」教育をしているのではないかという疑いがあるかもしれません。一部だけみると、確かに、いたいけな児童にたいしてただひたすら「独島は韓国領である」と結論だけをすりこんでいるという印象をもつと思います。

しかし、こんな可能性もあります。小学生にたいする「独島」教育のなかで、1900年の勅令41号が教えられています。勅令41号とは、韓国側にとって「独島」が韓国領であることの論拠となる大事な文書のひとつで、「石島」を管轄すると記しています。この「石島」がいまの「独島」だというのが韓国の主張で、方言までもちだして名称の変遷について説明しています。

もちろん、本当に「独島イン・ザ・ハーグ」になったときには、15名の判事にたいして英語やフランス語で、方言による名称の変遷を論拠として訴えかけてもまったく通じないでしょう。韓国だって当然それはわかっています。ですから「石島」が「独島」であると明示している文書や、韓国の公権力が行使されていた――税金を取り立てていたとか、外国人を排除したとか――証拠を政府傘下の研究機関の研究者に必死に探させています。

わたしも、勅令41号についてこうした法的な論点まで韓国では子どもたちが学んでいるとは、正直思っていません。しかし、ここで肝心なことは、少なくとも理論上はそうした可能性があるということですし、優れた<悪魔の代弁人>であればあるほど、相手もそうだと見立てるということです。

日本だってもちろん、名前の移り変わりに対しては、「立証責任は韓国側にあって、証拠をださないと韓国側の主張は意味がない」と突っ込みをいれていますが、そこだけが論点じゃないこともわかっています。このように、ある主張が崩れた場合でも、べつの主張を複数構えている。これこそが戦略的に戦いにのぞむというものです。


専門知識がなくても<悪魔の代弁人>を立てることはできるのか?


―― 読者でも<悪魔の代弁人>を立てて竹島問題を考えることはできるのでしょうか?

一定のトレーニングを受ければ、誰でもできるようになります。昨年度、大学の「国際情勢」という教養科目で、「竹島イン・ザ・ハーグ」「独島イン・ザ・ハーグ」を素材にディベートのトレーニングをやってみました。

もちいた資料は日韓両国の政府の立場がしるされた広報パンフレットで、日本側の『竹島問題を理解するための10のポイント』と韓国側の『韓国の美しい島、独島』(日本語版)です。

まずは、個別の論点について時期ごとに3つにわけて日韓の主張を確認するところから始めました。1つ目は、17世紀。日本は遅くても17世紀なかばには竹島の領有権を確立していたと主張している反面、韓国は世紀末におこった安龍福事件で日本が竹島の領有権を放棄したと主張しています。2つ目は、東アジアが近代国際秩序のなかに再編されていく20世紀初頭。1900年にだされた勅令41号か、1905年の島根県への編入措置か、が焦点です。3つ目は、戦後の国際秩序の根幹を形作ったサンフランシスコ講和条約での取り扱われ方です。

それぞれの主張を確認したうえで、つぎは、論点ごとに、双方の立場に順次立って、立論したり反論したりします。そうすることで、互いの主張のどこが対立しているのか、さらには、それぞれの主張のどこに矛盾や弱みがあるのかに次第に気付いてきます。

最後には、3つの論点のあいだで筋が通った立論、いわば3つの団子に一本の串が突き通るような訴状を、やはり日韓それぞれの立場から書かせてみました。これがなかなか立派な書面で、驚きました。

授業が進んでいくにしたがって、「この条件が満たされると日本の方が有利だ」とか、「勅令41号を裏付ける証拠がでてきたら、韓国がいうように、1905年の島根県への編入は『植民地支配の最初の犠牲者』ということになる」とか、前提条件におうじて結論が変わりうるということが社会福祉学部や看護栄養学部の学生でもわかるようになりました。教養科目として手応えのある授業で、教員冥利に尽きるものでしたね。

<法ならぬ法>「国民情緒法」と慰安婦問題


―― 本書の第4章では、慰安婦問題についてお書きになっています。とくに、韓国では憲法の上位に、国民の感情を考慮する「国民情緒法」が<法ならぬ法>として存在するという話はとても興味深かったです。

2011年に京都でおこなわれた野田前総理と李明博前大統領の日韓首脳会談で、李前大統領は「慰安婦問題は法以前に、国民の情緒、感情の問題である」とのべています。日本は「完全かつ最終的に解決されたこととなる」という日韓請求権協定で慰安婦問題は「法的には解決済み」という立場をとっていますが、韓国は、「その後に明らかになった問題なので、未解決のままだ」という立場で、両国間で協定という名の法をめぐる解釈が食い違っています。「完全かつ最終的に解決されたこととなる」というのもある種の擬制で、それを受けいれるかどうかです。

李前大統領の発言を善意で解釈すれば、「国民情緒」を強調することで、慰安婦問題の解決は法ではなく政治でやろうとせまっていたといえます。つまり日本が請求権協定で解決済みという法的立場を崩せないことはわかっているからこそ、政治的にアプローチしようというシグナルとしても読み解くことができます。


―― 本書を読んでいると、李前大統領のあの行動は「早くなんとかしようよ」という焦りがあったのではないかと思いました。

むしろそういうことですよ。

李前大統領は、「韓国政府が慰安婦問題についてなにもしないのは違憲である」という自国の憲法裁判所の判決によってあのような行動にでたわけですが、この判決は、いまの朴槿恵大統領も当然拘束します。つまり彼女もなにか行動しなくてはいけないのです。

朴大統領の行動準則は「約束と信頼」です。政治や外交において、相手が本当はなにを考えているかなんて永遠にわからないじゃないですか。とくに北朝鮮や日本にたいする不信感が根強く存在しています。そのなかで「信頼外交」をしていくわけですから、まずは約束にもとづいて相手が行動するかどうか、その結果を一つひとつ確かめながら、信頼を積み重ねていくしかないと考えています。要するに、「信頼せよ、だが検証せよ(trust, but verify)」なんですね。

朴大統領は、世論に引っ張られてルールが変わるという「国民情緒法」をなんとかしないとまずいと思っています。ルールがはっきりと定まっているのに、盗んだ仏像を返さないなんてことはしていてはいけないんです。韓国は貿易で食っている国ですから、韓国企業と契約している外国企業が「いつ契約を破棄されるかわかったもんじゃない」と思うようになってしまったらたいへんなことになります。

この件については、問題の所在も、アプローチの方法もそれこそ正しく認識していますから、期待をもちながら注意深く見守っていきたいですね。




「したたかな韓国」をなめてはいけない


―― 最後に、既に本書を読んでいる読者に本書をどのように活かしていただきたいか、またまだ本書を読んでいない方になにを意識して読んでいただきたいかお話いただけますか?

1章では、韓国の政治制度が政治家や有権者に与える影響に注目しながら、大統領になるための朴槿恵の戦略を描きました。じつは同じことが、2017年12月19日の大統領選に向けてもうすでに始まっている戦いについてもいえます。ですので、誰がどういう戦略で、先読みと逆算をしながら動いているかをみてほしいですね。注目は、なんといっても、安哲秀です。

安は昨年の大統領選で、朴と争った野党の文在寅と手を組んだにも関わらず、文が負けた場合に責任を取らずにすむよう投票日に渡米しました。その後帰国して、安は4月の補欠選挙に無所属で出馬をして国会議員になりました。いずれ新党を結成するだろうといわれていますが、今後どういう動きにでるか、一時も目が離せません。

2章では韓国社会の課題について話をしていますが、日本と同じく少子高齢化の進む韓国が、今後どのようにして持続可能な社会を作っていくのかに注目してほしいです。これから中国やマレーシアなども日韓を追いかけるように同じような社会構成に変わっていくでしょう。そのなかで、日本と韓国のどちらが優れたモデルになりうるのか、これからはこういう部分で政策を競いあってほしいですね。

今回とくにお話をした竹島領有権紛争や慰安婦問題についてはそれぞれ3章と4章で詳述していますので、それぞれの問題の「大きな絵」を理解するうえで参照していただければ嬉しいです。古地図の発掘とか、「狭義の強制性」の有無とか、あるひとびとにとっては強いこだわりがあるかもしれませんが、じつは、外交ゲーム全体のなかではガラパゴスな議論になっているかもしれません。まずは、ゲームの構図がどうなっているか、そのルールはなにで、ジャッジは誰なのか、といった「大きな絵」を理解することが大切ですね。

本書の副題は「朴槿恵時代の戦略を探る」ですが、もちろん、朴槿恵の戦略をそのまま受けいれるという意味ではけっしてなくて、相手やゲームの性格におうじた日本の戦略を探り、外交にのぞむためです。読者の方々には、ぜひとも優秀なクライアントになって、自分に不利なものも含めてそれぞれのシナリオごとに筋道を考え結論を導く<悪魔の代弁人>を立てて、さまざまな問題にアプローチしていってほしいと思っています。

むかしと違って、日本と韓国の関係は対等になっています。部分的には韓国の方が優れているところもあるくらいです。いままで対等な相手とみなさずに上から目線だった日本と、日本に追いついて横に並んだ韓国では、「対等」のニュアンスがおのずと異なります。相手が自分と同じくらい賢いという見方ができないと、ぎゃくに足元をすくわれかねません。「したたかな韓国」をなめてはいけないんです。

<悪魔の代弁人>は悪魔そのものではないですし、そもそも日本にとって韓国は悪魔ではありません。互いに競いあっていいところを学びあうパートナーになれればと願っています。





https://web.archive.org/web/20140128194012/http://synodos.jp/newbook/4400
https://web.archive.org/web/20130615035738/http://synodos.jp/newbook/4400/2
https://web.archive.org/web/20130617083054/http://synodos.jp/newbook/4400/3

木村


「ガラパゴス化」する慰安婦論争 ―― なぜに日本の議論は受入れられないか

河野談話見直しの動きや、橋下大阪市長の慰安婦関連発言により、慰安婦問題に対する関心が、かつてないほど高まっている。しかし、それならわれわれはこの慰安婦「問題」についてどの程度知っているのだろうか。そこで本稿では、この問題の歴史的展開過程を確認することにより、この問題について改めて考えてみることにしたい。


歴史問題と歴史「認識」問題


―― 今は違う?

今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行ったときに司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいっていったんですよ。


よく知られている橋下大阪市長の発言である。この文章を引用したのは、彼の発言を糾弾するためではない。ここで注目したいのは、この発言が典型的にしめしているもう一つの重要な事実である。それは、慰安婦問題に代表されるような歴史認識問題が、じつは「過去」における特定の事象にかかわる問題である以上に、「現在」のわれわれのものの考え方、つまり、「認識」と関係する問題なのだ、ということである。

それはある程度、当たり前のことである。たとえば、日韓両国のあいだに横たわる教科書問題を考えてみよう。周知のように、この問題は「教科書に書かれている『過去』の事実が、実証主義的観点から正しいか否か」をめぐる問題である以上に、「どのような『過去』の事実が書かれるべきか」をめぐる問題である。「過去」の事実とは、一定の時間軸の範囲で起こったあらゆる事象を意味しており、われわれはそれをどこまでも無限に細分化することができる。にもかかわらず、教科書の分量は限られており、当然、そこには一定の基準、つまり、「歴史認識」にのっとって、特定の事実だけが選ばれ、並べられることとなる。

同じことはあらゆる「歴史」についていうことができる。われわれが現在目にする「歴史」とは、無限の素材をもつ「過去」のなかから、限られた事象にのみ注目して作り出したものである。われわれがなぜにそれら特定の事象に注目するかは、過去の事象そのものからは説明できない。その背後には必ず何かしらの、「歴史を紡ぐ者」の価値観が存在する。なぜならわれわれは一定の価値観なしに、膨大な過去の事実から特定の事実を選び出すことすらできないからだ。

たとえば、それは自らの過去を利用して「自分史」を書く試みを考えてみればわかりやすい。自分の過去に起こったさまざまな事象から、肯定的な事実のみを寄せ集めれば、「イケてる自分の歴史」を作り出すことができる。しかし同様に、否定的な事実をかき集めれば、振り返りたくもない「ダメダメの自分の歴史」を書くこともできるに違いない。大事なことは、われわれはこのまったく異なる「歴史」を、ともに選りすぐられた過去の事実そのものについては忠実に再現しつつ、書くことができることだ。

だからこそわれわれは、ときに「朝起きたときの気分」程度によってさえ、「頭のなかの自分史」を容易に書きかえることができる。問題は無限に存在する過去の事実のなかから、どの事実のどのような側面に注目するか、なのである。そしてこの点を理解することなしに、慰安婦問題をはじめとする歴史認識問題については理解できない。


慰安婦問題の歴史的展開


一言でいえば、歴史と歴史認識のあいだの関係は、歴史があってから歴史認識があるのではなく、歴史認識があって初めてわれわれは歴史を「書く」ことができるという関係にある。「イケてる自分の歴史」の前提には、「自分はイケている」という歴史認識があり、逆に「ダメダメな自分の歴史」の背後には「自分はダメな奴だ」という歴史認識があるというわけだ。もちろん、今日の日韓両国の慰安婦問題に対する理解の背景にも、やはりその前提となる「認識」が存在する。簡単にいえば、「認識」が異なるからこそ、日韓両国のさまざまな論者が注目する慰安婦問題の事実にかかわる側面も異なり、ゆえに錯綜した議論になっている、ということである。

ここで重要なのは、「自分史の歴史認識」が日々変化するように、日韓両国の歴史認識問題にかかわる考え方も、日々変化する、ということだ。当然のことながら、その変化にもまた理由がある。そしてここで忘れられてはならないのは、人々の認識に変化を与えるのは、過去の事実そのものよりも、各々の時点での「認識の保持者」をめぐる状況である、ということだ。それは、飲みすぎて二日酔いになって仕事でへまをやらかした翌日には、「ダメダメな自分認識」ができあがる、というのと同じ理屈である。

だからこそ、日韓間の慰安婦問題を考える上でも、この問題をめぐる人々の「認識」がどのように作られ、どのように変化してきたかを知ることは重要である。たとえば、次の表は韓国で最大の発行部数を誇る保守有力紙『朝鮮日報』の記事データベースから、歴史認識問題にかかわるさまざまなイシューについての報道の頻度をまとめたものである。より具体的には、データベース上において、キーワードもしくはタイトルに日韓両国の歴史認識問題にかかわる語を含む記事の数を数えたものである。


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もちろん、新聞の紙面数等は時代により異なるので、異なる時代の数値を直接的に比較することは難しい(より詳しい分析ついては、拙稿、Discovery of Disputes: Collective Memories on Textbooks and Japanese–South Korean Relations, Journal of Korean Studies, vo. 17-1, 2012をご参照いただきたい http://muse.jhu.edu/login?auth=0&type=summary&url=/journals/journal_of_korean_studies/v017/17.1.kimura.html)。それでもこの表から明らかなことは、いくつかある。特に慰安婦問題において注目すべきは、少なくともこのメディアにおいて、ある特定の時期までは慰安婦問題に対する関心がほぼ皆無だったことである。

じつは、同じ現象は、韓国における他の新聞や雑誌においても確認することができる。さらにそれは何もマスメディアだけの現象ではない。80年代までの韓国においては、歴史教科書においても、女性の戦時動員にかんする記述はわずかに見つかるものの、慰安婦問題にかかわる具体的な記述はまったく見られない。

同じことは学術論文についてもいうことができる。今日利用可能なデータベースから判断するかぎり、植民地期の慰安婦問題にかんする韓国語の学術論文は70年代までは1本もなく、80年代を通じても数本があるに過ぎない。そしてそのすべては、女性問題の専門家によって書かれたものであり、歴史学者が慰安婦問題について書いたものは80年代になっても登場しない。日本では、すでに1973年に千田夏光が『従軍慰安婦』(双葉社)を出版し、歴史学者のあいだでも議論が始まっていたことを考えれば、この時点での韓国における慰安婦問題への関心は、日本におけるそれよりはるかに低かったことになる。

韓国人は慰安婦の存在を知らなかったか


どうしてこんなことが起こったのだろうか。この点について、日韓両国の一部では「当時の韓国人は慰安婦について知らなかったのだ」という理解がある。ここで問題になるのは「知らなかった」というのが何を意味しているか、ということであろう。

結論からいえば、もし当時の韓国人が慰安婦の「存在」それ自体を知らなかったのか、といえば、さすがにその議論には無理がある。たとえば、1965年の日韓条約にいたるまでの外交交渉において、日韓両国は慰安婦が現地に残してきた「残置財産」について議論したことがある。つまり、当時の韓国政府は慰安婦の存在をちゃんと知っていたわけである。

そして、そのことは日韓条約のもっとも重要な基礎をなすことになった、「金・大平メモ」の韓国側当事者である金鍾泌の後の発言からも確認することができる。朝日新聞による慰安婦問題への「軍の関与」が報道された92年1月、金鍾泌は韓国メディアに対して次のように述べている。「請求権交渉当時、挺身隊問題(註・この時点の韓国においては、挺身隊と慰安婦は混同されて理解されている)は、韓日両国のどこにも資料がなく、実態把握が不可能であり、どうすることもできなかった」。つまり、金鍾泌は慰安婦の存在自体は知っていたが、資料不足により「実態把握」が困難であり、それゆえ、交渉のテーブルにあげることができなかった、と述べていることになる。

興味深いことに、このような金鍾泌の発言は、当時の韓国の新聞から激しく非難されている。たとえば、この点についてある新聞は「彼の年齢の韓国人なら挺身隊について知らない人間があろうはずはない」と社説にて断言している。つまり、当時の韓国メディアにとって、金鍾泌のような「戦前派」の人間が慰安婦の存在について、その詳細を知っていることは、「常識」に属していたわけである。

同じことはメディアの側についてもいえるはずだ。金鍾泌が外交交渉を行っていた60年代初頭の韓国では、メディアのみならず、学界や財界、さらに市民団体においても、「戦前派」の人物が主要なポストを占めていた。にもかかわらず、当時の韓国では誰も慰安婦問題を日韓交渉において取り上げるべきだ、とは主張しなかった。金鍾泌の問題は、当時の韓国社会全体に通じる問題だったのである。


慰安婦紛争の大前提


とはいえ、このような事実を掲げた目的は、当時の韓国社会における慰安婦問題に対する姿勢を非難することではない。問題は、なぜに80年代頃までの韓国人が、慰安婦の存在そのものは知っていたにもかかわらず、これを日韓間における重要な問題の一つとして提起しなかったのか、ということである。背景にあったのは、韓国においては長らく、慰安婦の存在自体が一種のタブーであり、おおやけに議論することが難しい状況が存在したことであったろう。だからこそ、80年代までの日韓両国のあいだでは、慰安婦問題をめぐる紛争は存在しなかった、ということになる。

この問題は少し理論的に考えれば、次のように整理できる。そもそも慰安婦問題のように、ある特定の事象にかかわる複数の国家の見解の相違が、国際紛争の原因となるには二つの要素が必要である。一つはこの問題にかかわる関係者あるいは関係国の認識が異なること、そしてもう一つはその認識の違いが重要である、という理解が存在することである。これを慰安婦問題に対して当てはめるなら、たとえ日韓両国のあいだで、慰安婦問題に対する認識の違いが存在しても、誰もその違いに重要性を見出さなければ、両国間で紛争が生じる余地はない。

実際、80年代までの日韓両国のあいだでは、慰安婦問題をめぐる紛争は存在しなかった。すでに指摘したように、韓国側においてこの問題が重要だ、という認識が存在しなかったからである。そして、このことは逆に、慰安婦問題の重要性がどのようにして見出されて行ったかを見れば、慰安婦問題にかかわる紛争が本来どのような性質のものであるかを理解することができる、ということを意味している。今日の韓国の人々が、慰安婦問題を重要なものとみなしているのは明らかである。だからこそ、彼らがこの問題のどこをどのような理由で問題視するようになったかを知ることはきわめて重要である。

それでは、韓国の人々は慰安婦問題の重要性をどのように見出し、意味づけしていったのか。指摘すべきは、ほとんど誰も韓国において注目してこなかった慰安婦問題を「再発見」し、この問題の重要さを見出して行ったのが、女性学研究者をはじめとする女性運動家たちだったということである。この点については、この問題が発見されていった80年代後半の状況を説明する必要がある。

80年代後半の韓国は依然、圧倒的な男性優位の社会であり、女性運動は大きな力をもっていなかった。同時にこの時期は、全斗煥政権に対する民主化運動が激しさを増していく時期であり、このなかでさまざまな社会運動が活性化していった。当時の韓国の女性運動家たちは、このなかで自らの運動に新たな意味をもたせるべく、試行錯誤することになる。

このなかで彼女らが見出したのは、当時の韓国において全盛をきわめていた「買春観光」に他ならなかった。全斗煥政権は、88年に予定されていたソウル五輪の開催を大きな目標の一つとしており、冷戦の最前線に位置する分断国家である韓国においてこれを実現するための方案として、当時の韓国政府は、海外からの観光客を誘致して、自国の存在をPRすることを試みた。主要なターゲットは、バブル景気に沸く隣国日本であり、結果として、多くの日本人が韓国を訪れた。

韓流ブームの到来する遥か以前のことである。当時の日本人がこの国を訪問する理由がドラマやアイドルの影響であるはずもなく、また90年代のようにグルメやショッピングでさえその目的ではなかった。彼らの最大の目的は「買春」であったのである。いわゆる、「キーセン観光」の時代である。

韓国の女性運動はこの「キーセン観光」に着目した。もちろん、それは売買春が女性の人権にかかわる問題であるからである。だが、この「買い手」が日本人であったことにより、彼女らの問題提起は、すぐに韓国のナショナリズムと結びついた。かつて自らを支配した日本人が、自国の「邪悪な支配層」と結託して、朝鮮半島に大挙再上陸し、札束をちらつかせて韓国女性たちを食い物にする。彼女らによってそう理解された当時の現実は、容易に日韓間に存在する「過去」の問題と結びついた。

つまり、「キーセン観光」のもと抑圧される女性たちの姿は、植民地期の慰安婦たちの再来、だと理解されたわけである。こうして「過去」は「現在」との結びつきを見出され、「現在」に繋がる重要な問題として議論されていくことになる。

重要なのは、このような「出自」をもつ慰安婦問題は、韓国においては国家対国家の問題というよりは、女性対男性、より正確には、男性中心社会における「組織的暴力」により抑圧される者と、抑圧する者のあいだの問題だと、出発時点から位置づけられていたことである。だからこそ、彼女らの運動の矛先は、日本に対してと同時に、韓国社会に対しても向けられた。いうまでもなく、その主要な成果の一つが、盧武鉉政権下の売買春の非合法化であり、また政府内での女性家族部の設置に他ならなかった。だからこそ、今日、韓国政府内において慰安婦問題を担当するのは、教育問題を担当する文教部ではなく、この女性家族部になっている。

異なる表現を使えば、韓国における慰安婦問題の認識の特徴は、それが「過去」にかかわる「歴史認識問題」である以上に、「現在」にかかわる「女性問題」としての性格をゆうしている。この点を理解すること無くして、韓国政府や韓国社会のこの問題に対する姿勢を理解することはできない。


強制連行という「逸脱」


とはいえこのように述べると、違和感をもつ人々もいるであろう。すなわち、慰安婦問題における最大の焦点は、慰安婦の動員過程における「強制連行」の有無であり、ゆえに典型的な「歴史認識問題」の一つなのではないか、と。確かにわが国でよく議論になる河野談話のポイントが「強制連行」の有無にあることは明らかであり、日本における慰安婦問題に対する関心はここに集中している感がある。

この点についても、慰安婦問題の歴史的展開過程が重要である。慰安婦問題が日韓両国政府間で本格的な争点となったのは、1992年1月、よく知られている「軍関与を示す資料発見」にかかわる朝日新聞の報道以降のことである。この問題にいたるまでには一つの重要な前段階が存在した。それには、さらに1年遡って、91年頃の状況を理解しなければならない。

たとえば、朝日新聞報道のちょうど1年前の91年1月、当時の海部首相が韓国を訪問している。このとき、海部をソウルで迎えたのは、戦時下における労働者等の「強制連行」を糾弾する声であり、そのことは当時の韓国における「歴史認識問題」への関心の中心が慰安婦問題ではなく、労働者等の「強制連行」問題にあったことを意味していた。より正確にいうなら、多くの韓国人にとって、この時点では慰安婦問題は単独の問題というよりは、より大きな植民地期の「強制連行」問題の一部として理解されていたのである。

慰安婦問題にかかわる韓国の運動団体も、この状況を前提として、自らの運動を展開していくことになった。この時点で彼女らが主張したのは、慰安婦問題こそが、植民地期の「強制連行」問題のなかでももっとも醜悪な事例であり、これを訴えることこそが他の「強制連行」問題の解決にも有益である、ということだった。だからこそ、「この時期」の慰安婦にかかわる運動は、慰安婦がどのようにして動員されたのかを中心として展開された。

このなかで金学順が元慰安婦としては最初にカミングアウトすることにより、法廷闘争が開始され、慰安婦問題は急速に注目を集めていった。前述の朝日新聞の報道は正にこのようななか行われ、日韓両国の世論は蜂の巣を突いたような状態になった。結果、報道の直後に行われた日韓首脳会談で、当時の宮沢首相が盧泰愚大統領にわずか20数分間に8回も謝罪する、という首脳会談としては異例の事態も出現した。

その後、韓国の政府や世論、そして恐らく当時の宮沢政権も期待した「慰安婦の強制連行を示す政府文書」が発見されなかったことにより、状況はさらに混迷を深めていくことになる。当時の日本では、五五年体制の終焉に向けた自民党の分裂が同時展開されており、国内外同時に進行するパニックに近い大混乱のなかで、翌年8月の河野談話がなされる、という流れである。ちなみに河野談話が出されるのは、宮沢がすでに下野を表明した後、細川護煕による新政権が成立するわずか5日前のことである。河野談話は完全に「死に体」の内閣によって出されたのである(この辺りについては、『究』(ミネルヴァ書房)の拙連載をお読みいただければ幸いである http://www.minervashobo.co.jp/search/g3010.html)。

このような河野談話前後の慰安婦問題の展開は、多分にその直前に注目を浴びていた労働者等の「強制連行」問題に引きずられたものであり、慰安婦問題をめぐる問題の焦点が、そこにしか存在しないことを意味しなかった。事実、90年代後半に入り、慰安婦問題をはじめとする一連の「強制連行」にかかわる日本国内での訴訟のほとんどが敗訴に終わると、運動団体はふたたび方向転換を模索し始めることとなる。ときあたかも韓国では、金大中、盧武鉉とあいついで進歩陣営に属する大統領が出現する時期に当たっており、ここで彼女らはもう一度、自らの原点である「女性の人権問題」としての慰安婦問題へと回帰することになった。

そこでは慰安婦の「強制連行」は主要な争点の一つへと後退し、あわせて慰安所における劣悪な待遇や、廃業の自由、さらには日本敗戦後の帰国時の困難や未払い賃金等の問題が取り上げられた。このなかでは、慰安所の運営や設置といった慰安婦にかかわるさまざまなかたちでの軍の関与に加えて、軍政実施者としての軍の責任などが取り上げられ、多方面から日本政府の責任が追及されるかたちになっている。

重要なことは、仮に元慰安婦や運動団体が慰安婦問題における日本政府の責任を立証しようとする場合においても、その筋道がいくつか存在する、ということであり、実際、韓国の運動団体は複数の方法を同時に試みている。にもかかわらず、日本国内ではあたかも時間が93年の河野談話の段階で止まったかの様な議論が続いている。

慰安婦問題の「二つの顔」


わが国における慰安婦問題にかかわる議論は、どうしてその運動の展開からずれてしまったのだろうか。それは慰安婦問題には「二つの顔」、つまり「女性の人権問題」としての顔と、「歴史認識問題」としての顔の二つがあり、その主たる顔が「女性の人権問題」としてのものの方である、ということが見落とされているからである。この慰安婦問題の「二つの顔」は本質的に性格を異にするものであり、目指しているものも異なっている。

にもかかわらず、わが国での議論はこの「二つの顔」のうちの従たる顔、すなわち、「歴史認識問題」としての顔にのみ注目したものとなっている。しかもさらに悪いことにその議論は「歴史認識問題」としての慰安婦問題にかかわる部分においてさえ、十分なかたちで存在していない。

それは次のように整理するとわかりやすいかも知れない。いうまでもなく「歴史認識問題」としての従軍慰安婦問題について重要な論点の一つは、当時の日本政府の法的責任をどのように考えるか、ということである。すでに述べたように、慰安婦問題にかかわる法的責任をめぐる議論にはいくつかのパターンが存在するが、わが国における議論はそのなかの一部でしかない、動員時の「強制連行」部分のみに集中している。仮に法的責任をめぐる議論が重要であると考えるなら、この点について幅広い論点をカバーする必要があることは明らかである。

また、「強制連行」そのものについてさえ、じつはわが国における法的責任をめぐる議論は十分ではない。仮に国家が組織的に関与していないことが確定したとしても、業者等による「強制」が存在すれば、これを放置したことによる国家の管理責任が問われる可能性もある。わが国における議論は「強制連行」にかかわる部分に執着する余り、結果として、一体何をディフェンスしようとしているのかさえ、わからなくなっている、といわねばならない。

もちろん、慰安婦問題の主たる顔である、「女性の人権問題」としての部分についてのわが国の議論の空白はより深刻であり、今日その深刻さは大きく増すことにいたっている。なぜなら日本国内の議論が慰安婦の「強制連行」にのみとらわれているあいだに、運動団体側は国際社会に対して、自らの原点でもある「慰安婦問題は現在にも通じる典型的な女性の人権にかかわる問題だ」という主張を積極的にアピールし、この試みは一定以上の成功を収めることになっているからである。

ふたたび、彼女らが慰安婦問題を「現在」に通じる問題として提起していることが重要である。今日において多くの国で売買春が違法化される流れにあることは明らかであり、そのかたちはともあれ国家がおおやけに関与するかたちで、「軍人に風俗サービスを提供する」などおよそ考え難いものとなっている。このような文脈において、その内容はともかく国家が何らかのかたちで関与するかたちで「軍人に風俗サービスを提供する」、かつての慰安婦をめぐる制度の実態が好意的に解釈される余地はない。

にもかかわらず、日本では今日、慰安婦問題をわざわざ「現在の」日本国内、あるいは世界各国に駐留する軍隊と絡めて説明しようとするも議論が登場している。そして当然のことながらこの議論は、国際社会から強い批判を受けることになる。なぜなら、この議論は各国政府に対して、「あなたの国の軍隊は、現在においても女性の人権を踏みにじっていますよね」と主張しているも同然であり、とりわけ、実名をあげられた国にとっては、挑戦状を突きつけられたに等しい状態だからである。

女性の人権への関心が高まるなか、強力な世界の女性運動の標的となるリスクを冒してまで、日本国内一部の身勝手な議論に同調する国は存在しない。その動きは控えめにいっても、国際社会の動きとかみあっておらず、日本をさらに孤立させることとなっている。


「現在」にかかわる議論と「過去」にかかわる議論を切り離せ


もちろん、このような日本国内の議論が出てくるのには理由がある。それは橋下大阪市長がいみじくも述べたように、「日本だけが叩かれている」という漠然たる不満が存在するからであろう。

ならばどのようにしたら良いのだろうか。最初に明らかなのは、慰安婦問題のような「現在」の価値基準に対して受入れられない事象については、それ自体が今後も非難され続けることがある程度やむを得ない、ということである。そのことはたとえば、ドイツにおけるナチス政権下のユダヤ人迫害にかかわる議論を考えてみればわかりやすい。

このケースにおいて重要なことは二つある。一つは、今日のドイツが自らの「過去」に対する問題を清算した否かとはまったく別の次元で、この問題が依然として否定的に議論されている、ということである。いい換えるなら、過去の問題がどう清算されるかと、過去にかかわる特定の問題が否定的に議論されるか否かは関係がない、ということをこの事例はしめしている。

二つ目は、この問題が今日、否定的に議論されているのは、当時の価値観に照らしてではなく、今日の価値観に照らしてだ、ということである。「不遡及の原則」により過去と現在が切り離されている法律的な議論とは異なり、歴史にかかわる議論においては、価値観が過去に遡及することはきわめてありふれた現象である。「歴史の教訓」などという言葉が存在するのもそのためだ。

だからこそ、ナチスのユダヤ人迫害同様、たとえばアメリカの奴隷制度や西洋列強の植民地支配も、「現在」の価値観に照らして今日では否定的に議論されている。もちろん、学術的にはこれらの問題を当時の価値観と照らして議論することはできる。しかしながら、それは今日の社会において、これらの問題がどう捉えられているかとは、別の問題だ。

この二つのことから、われわれは重要な示唆を得ることができる。今日の価値観に照らして否定的に解釈される「過去」の一定の事実が、今後も否定的に議論され続けるであろうことはある程度やむを得ない。しかし、それが「現在」のわれわれの社会に対する批判と連結するかどうかは別問題だ、ということである。なぜならわれわれは「否定的に理解されている過去」を、われわれが生きている社会から切り離すこともできるからである。

そのことはふたたび、ドイツの例を見ればわかりやすい。ドイツでは、ナチスにかかわる過去を現在のドイツと切り離す「理屈」ができあがっており、これにより「過去」に対する批判が「現在」の彼等に及ばないような仕組みを作り上げている。その意味では「過去」の清算とは、単に法律的賠償を尽くしたり、謝罪のパフォーマンスをすることだけではないのである。より重要なのは、何らかのかたちで「過去」に区切りをつけ、「現在」のわれわれと切り離すことなのである。

同じことはアメリカの奴隷制についてもいうことができる。今日のアメリカが奴隷制度について否定的に議論できるのは、彼らが自らの歴史をこの問題を「克服した」歴史として位置づけているからである。少し皮肉ないい方をすれば、問題が深刻であればある程、それを克服する過程は偉大なものとなり、彼らはそこに肯定的な意味さえ見出すことができる。アメリカの歴史において南北戦争や公民権運動が重視されるのはそのためであり、だからこそリンカーンやキング牧師はアメリカ史のヒーローの座を占めている。

もちろん、そのために重要なのは、今のわれわれの社会がどのような状態にあるかである。慰安婦問題で問われているのは、「過去」の事実以上に、われわれの「現実」、より正確にはわが国の「女性の人権」、さらには「組織的暴力の下に置かれている人々」をめぐる状況である。それこそがじつは慰安婦問題の「本丸」なのであり、だからこそ慰安婦問題を突きつけられた日本が女性の人権にかかわる問題についてどのような態度を見せるかはきわめて重要なことなのである。

にもかかわらず、わが国における議論は迷走し、韓国はもちろん、世界の他の国々ともまったくかみあわないものになっている。同じことは、多くの歴史認識問題についていうことができる。慰安婦問題、さらには歴史認識問題をめぐる議論の「ガラパゴス化」から抜け出すことなくして、内容のある対処は不可能だ、と考えるのは筆者だけだろうか。


https://web.archive.org/web/20130610081400/http://synodos.jp/politics/4347
https://web.archive.org/web/20130610093020/http://synodos.jp/politics/4347/2
https://web.archive.org/web/20130610090056/http://synodos.jp/politics/4347/3

2014年2月27日木曜日

文春 金夫妻


フランスの漫画祭に「慰安婦漫画」を出展
 し、アメリカでは慰安婦像を建立した韓国。
’世界で猛烈な反日活動を繰り広げる韓国ロビ
 ーはいったい何者なのか? 韓国とアメリカ
 での取材で見えてきたのは、「日米の離間」
 「親北朝鮮」を教条とする過激派集団だった。


昨年七月、米国カリフォ
 ルニア州グレンデール市に
 「慰安婦像」が設置され
 た。ソウルの日本大使館前
 の路上に無許可で建てられ
 た慰安婦像と同一のもので
 ある。朴槿恵大統領が率先
 して「日本失墜運動」を展
 開する韓国にとって、慰安
 婦問題の国際問題化に成功
 した象徴的な事件だった。
  この事件以降、韓国はフ
 ランスーアングレーム国際
 漫画祭への「慰安婦漫画」
 展示、日本海を「東海」と
 呼称させる運動などを、全
 世界で加速させている。ユ
 ネスコの「世界記憶遺産」
 への登録を二〇一七年まで
 に目指して準備。また、今
 年中に「慰安婦記念日」を
 制定すると公表。記念日に
 は慰安婦に関する国際シン
 ポジウムや音楽会、演劇、
 美術展を開催するという。
  さらに、新たな慰安婦像
 設置の動きもある。
 「先日、グレンデール市に
 慰安婦像を設置した韓国口
 ビー・KAFCの会長がソ
 ウルを訪問し、新たに二体
」の慰安婦像を発注しまし
 た。次はどこに設置を企んでいるのか定かでありませ
んが、すでに候補地は決ま
っているでしょう」(大手
紙ロサンゼルス特派員)
 こうした運動を先導して
いるグループは、いったい
何者なのか? 小誌が調査
を進めるにつれ、彼らは危
険な政治思想を掲げ、公安
当局からもマークされる存
在であることが判明した。
 日韓関係に詳しい韓国人
ジャーナリストが解説する。
 「日本では知られていませ
んが、慰安婦像を制作した
のは、金ウンソン、ソギョン
の芸術家夫妻。実は金夫妻は親北朝鮮団体に関わり、
反米活動を数多く行ってき、
た極左活動家なの窄ご
 韓国でa二O庇ご年ヽ女
子中学生万八が在韓米軍の
装甲舉ご轢かれて死亡する
事故が発生。激しい反米運
動が沸き起こった。
 「このとき、先頭に立って
活動していたグループの一
員が金夫妻です。彼らが参
加した米軍基地のデモに
は、『米韓同盟を廃棄しよ
う』『米兵をいじめ続けて
追い出そう』などと大書さ
れたスローガンまで登場し
ました」(同前)

北朝鮮スパイが運動に浸透

金ウンソン氏は、北朝鮮
シンパの「民族美術家協
会」の事務長として○七年
に北朝鮮を訪問。反米団体
「平和と統一を導くサラム
ドゥル」の記念碑建設にも委員として携わっている。
 「バリバリの親北朝鮮・反
米活動家なのに、アメリカ
で『日本の大罪』『人権』
を訴える政治活動を展開す
るなんて、本来ならとんだ茶番なのです」(同前)
 朝鮮半島情勢に詳しい東
京基督教大学教授の西岡力
氏が解説する。
 「反米活動家が『米国の良
心』に訴えるなんて矛盾し
ていますが、それはまさに
彼らの戦術なのです。韓国
の北朝鮮シンパから見れ
ば、日米関係は悪くなった
ほうがいい。在日米軍基地
が北に対する強い抑止力に
なっているからです」
そんな彼らが始めたの
が、アメリカで慰安婦問題
を提起し、日米韓を離間さ
せる工作だ。
 「実際、彼らの狙いは奏功
し、日本では『慰安婦像の
設置を許可した米国もけし
からん』という風潮が生ま
れた。歴史問題で日米韓が
ギクシャクしていちばん喜
ぶのは、北朝鮮とその背後
にいる中国です」(同前)
 金夫妻と連携し、夫妻が制作した慰安婦像を活動に
用いているのは、韓国挺身
隊問題対策協議会(挺対協)
である。過激なデモを繰り
広げ、日本大使館前に慰安
婦像を建てたのも挺対協
だ。アメリカでの慰安婦活
動も、挺対協の主張に沿っ
て進められている。グレン
デール市議がソウルを訪れ
た際も、挺対協の拠点に足
を運んでいる。
 ところが挺対協は、北朝









鮮と密接な関係を維持し、
韓国公安当局の捜査対象に
もなっているのだ。
 「挺対協の尹美香代表の夫
 ・金三石と義理の妹は、一
九九三年にスパイ事件で逮
捕されています。容疑は、
日本で北朝鮮工作員と接触
したというものです」(前
出・韓国人ジャーナリスト)
 だがその後、親北朝鮮の
盧武鉉政権時代になると、
立場は逆転。金は「疑問死
真相究明委員会」調査官と
して抜擢され、国防長官、
軍司令官などを召喚した。
 「これにはさすがの朴槿恵
(当時は野党代表)も『スパ
イが国防長官を調査する国
は、世界中どこにもない』と
批判。すると金は名誉毀損で朴を訴えた。
さらに討論会で
『金正日将軍の
先軍政治のポイ
ントは、社会主
義を守る朝鮮と
米帝国主義の先鋭なる対決』などと三十分
にわたって露骨な北朝鮮賛
美の演説を打ちました。
 今月十七日、韓国の李石
基議員が北朝鮮に国家機密
を流して懲役十二年の判決
が下されましたが、李議員
も挺対協の後援パーティに
出席しています。統合進歩
党と挺対協は、『戦争反対
・平和実現・国民行動』な
る連合組織にて、ともに米
韓軍事演習に反対する声明
を出しています」(同前)
 極左反米反日を隠さない
挺対協は、他の運動団体に
対しても高圧的な態度をと
り、ソウルの日本大使館前
では他の運動団体との乱闘
もたびたび勃発する。
 「挺対協は元慰安婦のおば
あさんたちを完全に囲って
おり、第三者との接触も許
さない。おばあさんが日本
人に好意的に対応しようと
しても、挺対協の関係者が
ストップをかける。挺対協
にとって、慰安婦問題は
『自分たちの利権』だとい
う認識なのです」(韓国公安
関係者)
 こうした挺対協のあり方
には、韓国国内からも批判が噴出している。かつて挺
対協とともに慰安婦の調査
活動を行ったソウル大学の
安秉直名誉教授は、韓国の
テレビ番組にて「私が活動
をやめた理由は、挺対協の
目的が慰安婦の本質を把握
することではなく、日本と
ケンカすることだったから
だ」と批判している。
 慰安婦問題に詳しいジャ
ーナリストは「挺対協は慰
安婦はそっちのけで、運動
そのものが目的化してい
る」と解説する。
 「挺対協は、北朝鮮との関
係を隠そうとしません。慰安婦を北朝鮮の金剛山観光
に連れて行き、費用もすべ
て挺対協が拠出。さらに、
北朝鮮政府の委員会にも慰
安婦を出席させた。観光か
ら戻ってきた慰安婦は、
『当初の予定にはなかった
のに、そんなことまでさせ
られたよ』と戸惑っていた
そうです」
 挺対協は日本政府に巨額
の補償金支払いを求めてい
るが、日韓の戦後補償問題
は、一九六五年の日韓基本
条約で「完全かつ最終的に
解決」(条約の文言より)し
ている。

ゲレンデール市長は設置に反対

「日本政府は八億ドル(現
在の貨幣価値で約十二兆円)
もの賠償金を支払ったが、
これは韓国の当時の国家予
算の二倍強にもあたる。国
際法からみても、日本政府
が賠償金を二重払いするわ
けにはいかない。そこで日
本政府は『アジア女性基
金』を立ち上げ、。善意の
償い金”を慰安婦に渡すと
いうかたちを考えたので
す」(外務省関係者)

ところが、そうした善意
を邪魔したのが挺対協だっ
た。アジア女性基金の理事
を務めヽた人物が批判する。
 「私が許せないのは、挺対
協は、本当におばあさんた
ちの人権や貧困状態につい
て考えていないのではない
かということです。私たち
は、。償い金”を届けるべく、
慰安婦の名簿を管理してい
る挺対協に協力を依頼しま
したが、応じてもらえなか論を考えるとハレーション
を恐れて手出しはできない。
逆に左派は国情院解体を公
然と叫ぶ。彼らの最終目標
は、北朝鮮主導の南北統一
なのです」(前出・西岡氏)
 小誌はメールや電話を通
じて金夫妻に何度も取材を
申し込んだが、「日本メデ
ィアの取材には応じられな
い」と拒否された。挺対協
本部にも記者が直接足を運
んだが、こちらも日本メデ
ィアと判明した途端、取材
は拒絶された。
 一方、アメリカでの慰安
婦喧伝活動は、着々と進ん
でいる。一月末、エドーロ
イス下院外交委員長も慰安
婦像に献花を行った。グレ
ンデール市在住のジャーナ
リスト・後藤英彦氏が語る。
 「アメリカ司法省による
と、一二年前半に韓国は官
民合わせて千七百万ドル
(約十七億円)の資金をロビ
ーインクや文化活動に投
入。また、韓国ロビー団体
は全米で二十ほどあり、韓
国系アメリカ人の人口は日
系大よりも多い。韓国は条
件付きで二重国籍を認めて
おり、韓国出身者の多くが
アメリカの投票権を持って
いることも政治的発言力に
つながっています」
 だが、グレンデール市の
デイブーウィーバー市長
は、慰安婦像設置に反対票
を投じた。ウィーバー市長
を直撃すると、思いのたけ
を語ってくれた。
 「一体いつまでこの騒ぎは
続くんだろう。しばらく収
まりそうにない。この問題
をめぐって六百通以上のメ
ールを受け取った。韓国か
らの賛成メールと日本から
の反対メール。私たちは、
日韓の問題に関わりを持つ
べきではないと思う。何が
正しかったのか、私たちは
知る術はないからだ。私は
この静かな街で生まれ育つ
たんだ。実は、あの像は一
度も見たことはないよ。私
は建立に反対したからね」
 不毛な困惑と対立……そ
れこそ、反日グループの思
う壺なのだろう。
 安倍総理側近の萩生田光
一自民党総裁特別補佐は韓
国への対応策をこう明かす。
 「単なる人権団体の活動で
はなく、北朝鮮の意思が働
いている可能性は、大いに
注視する必要があります。
 韓国ロビーが海外で繰り
広げてきた活動に対して、
日本政府の対応が甘かった
という指摘もある。日本の
立場をキチンと説明してお
くべきだったと思うし、外
務省や首脳だけでなく、歴
史的背景の誤解を解くため
にも日米間で議員外交のパ
イプを作るべきです」
 「江南スタイル」が全米で
大ヒットした韓国人シンガ
ーPSYも、「ヤンキーを
殺せ」「苦しませながら殺
せ」などという過激な歌詞
のラップをかつて反米デモ
集会で歌ったことが露見
し、昨年アメリカで謝罪に
追い込まれた。
 アメリカ社会は、韓国の
慰安婦関連活動が、結局は
自由社会を脅かしているこ
とにいつ気付くだろうか。

週刊文春 2014.2.27 P.34-37

2014年2月8日土曜日

関東大震災、新たな火種


「正しさ」とは何か:韓国社会の法意識/2 関東大震災、新たな火種

 「日本政府の関与は明らかだ。真相究明に遅過ぎることはない」

 先月24日、韓国南西部・済州島(チェジュド)。川沿いの住宅街にある一戸建ての自宅居間に、市民運動家の金鍾洙(キムジョンス)牧師(50)を招き入れた趙民星(チョミンソン)さん(61)が、穏やかな口調で話した。

 金牧師は、関東大震災(1923年)時に起きた朝鮮人虐殺の真相究明を求める運動をしている。震災直後「朝鮮人が暴動を起こす」などのデマが広がり、多数の朝鮮人が殺害された。犠牲者数を数千以上とする説もあるが、実態は不明だ。韓国メディアが3日前、趙さんのことを「遺族が見つかった」と報じたのを受け、済州島に飛んだ。

 金牧師は、80年代に民主化闘争の一翼を担った労働運動の活動家だった。2007年に虐殺のことを知り「抑圧された朝鮮人の被害を放っておけない」と考え、事件のことを韓国内で知らしめる運動を始めた。趙さんに会って「遺族と証明できる人は初めて。重みが違う」と声を弾ませた。

 趙さんは、父の故泰満(テマン)さんが65年に書いた記録を示した。震災時に亡くなった遠縁の一家を泰満さんが日本へ行って調べ、東京の亀戸署(当時)内で殺害されたことが分かったのだという。記録は公表されることなく、家に保管されてきた。

 「訴訟を起こさないのか」。同席した韓国人記者が尋ねた。「遺骨を見つけてきちんと葬ってあげたい」と話す趙さんだが、「訴訟までは考えていない」と答えると、記者が「真相究明の助けになるのでは」と畳み掛けた。金牧師は「訴訟は難しいが、遺族が提訴したいなら放っておけない」と含みを残す。

 韓国政府は昨年11月、虐殺の犠牲者290人の名簿が東京の韓国大使館倉庫で見つかったと発表した。日韓国交正常化交渉が続いていた50年代初めに作成された名簿は、事件への韓国メディアの関心を高めた。

 名簿発見の公表前、対日政策に関わる韓国外務省幹部は「関東大震災が新たな外交懸案になるかもしれない」と口にしていた。そして今、その懸念は韓国国会で現実のものとなりつつある。真相究明の努力を韓国政府に義務づける特別法制定が、議員立法で進められようとしているのだ。中心となっている野党・民主党の柳基洪(ユギホン)議員は「真相究明が進めば、当然、日本への謝罪や補償の要求も出てくるのではないか」と話す。

 駐日大使も務めた韓国の元外交官は「遺族が悔しいのは分かる。でも、さすがに昔の話で、今さら補償でもないだろう」と顔をしかめる。だが、柳議員は「こうした問題では与野党とも異論が出ない」と断言し、法案成立に自信を見せた。【済州島で澤田克己】=つづく

毎日 2014.2.8
http://mainichi.jp/shimen/news/20140207ddm007030144000c.html

関東大震災の時に虐殺されたという遠縁の一家に関する記録を金鍾洙牧師(左)に見せる趙民星さん=済州市の趙さん宅で

2013年11月28日木曜日

朝日 慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない

慰安婦問題、インドネシアの女性証言 「日本軍のテントに連行された」

慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。日本政府が約20年前、東南アジアへの波及を防ぐ外交を水面下で進めていたことを朝日新聞は報じた。1942年に日本が占領したインドネシアには、現在も「旧日本軍から性暴力を受けた」「慰安婦だった」と証言する女性がいる。被害状況さえ解明されないまま置き去りにされた彼女たちに会いに行った今夏の取材を報告する。

 赤道直下に浮かぶインドネシア・スラウェシ島には元慰安婦の支援団体がある。これまで団体が聞き取りをしていない人を紹介してほしいと依頼した。

 最初に会ったのは島南西部のシンジャイ県に住むベッチェさん。築数十年の高床式の家を訪ねた。80代半ばで曲がった腰にサロンと呼ばれる布を巻いている。未婚で親戚一家の元に身を寄せている。

 記者は「当時、日本兵に何か怖いことをされたのですか」と切り出した。インドネシアは地域によって言語が異なる。日本語からインドネシア語、そして地域語へ、2回の通訳を経て質問は届く。彼女はつぶやくように話し始めた。

 「あの時、私は10代半ばでした。ある暑い日の夕方、2人の男が家で料理をしていた私を無理やり外に引っ張り出しました」

 男たちはインドネシア語ではない言葉を話し、銃を持っていた。それを見てベッチェさんは日本兵だと思ったという。10分ほどで彼女の目は涙であふれた。

 「娘を連れて行かないでくれ」と叫ぶ父親の目前でベッチェさんはトラックの荷台に押し込まれた。他にも同年代の女性が乗っていたという。着いた場所には「日本軍のテントが張ってあった」。そのうちの一つに連れて行かれ、複数の男に犯されたと語った。

 当時、その場所に出入りしていたというインドネシア人男性・ハムザさんに話を聞くことができた。「日本軍が三つテントを張って7人の女性を閉じ込めていた。そこで彼女(ベッチェさん)を見た。連行したのは地域を管理していた日本兵だ」。当時、若い女性が日本兵の慰安婦にされることが地域で恐れられていたという。

 ベッチェさんは約3カ月後に解放された。だが、家族から「汚い人間は必要ない」と家を追われた。裸足で丸2日歩いた末、知人の住む村で畑仕事を手伝いながら生き延びたという。「これまで何もしてくれなかったインドネシア政府に腹が立つ」。取材を終えた時、紅潮した顔が涙でくしゃくしゃになっていた。

 ■「大きな建物 たくさんの小部屋」

 取材班は、女性たちが被害を受けたと証言する現場を探した。

 島南西部のピンラン県に住むイパティマンさんの証言は詳細だ。当時、働いていた製糸工場内で小銃を持つ男に腕をつかまれた。インドネシア人の顔つきではなく日本兵だと思った。トラックで15分ほど走った所にあるマリンプン地区に連れていかれたという。

 「大きな木造の建物に入れられました。廊下を隔ててたくさんの小さな部屋がありました」。そこに日本兵が次々にやって来て辱めたという。「大声で叫びました。怖くて涙が止まりませんでした」。3カ月後に解放されて間もなく、戦争は終わったという。

 取材班は彼女の家から10キロほどのマリンプン地区に入った。古くから近くに住むタヒルさんという男性が広大な牧草地に案内し、「昔、ここにはたくさんの日本兵がいた。大きな基地だった」と話した。建物跡は見つからなかったが、日本軍がいたという裏付けになる証言だ。

 イパティマンさんは自らが働いていた工場を営む日本企業を正確に覚えていた。今もある大手企業だ。

 取材班は彼女の証言を頼りに、工場があったとみられるピンラン県パチョゲン地区の住宅街の一角に向かった。民家ばかりで工場を思わせる痕跡はない。近くに住むイカラウさんという女性に出会った。

 イカラウさんは、こちらが教えていないのに、イパティマンさんの証言と同じ日本の企業名を言い、「日本軍がいた当時、ここに工場があった」と話した。さらに「母親からは『工場に近づいてはいけない。日本人の嫁にさせられる』と言われた。みんな恐れていた」と続けた。

 取材班は当時の資料にもあたった。スラウェシ島は当時、「セレベス島」と呼ばれた。終戦後、旧日本軍がオランダ軍の求めに応じて作成した「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」には「ピンラン分県ピンラン町」に慰安所があったとある。それがイパティマンさんの言う場所かは不明だ。大手企業に取材すると、スラウェシ島に工場があったとの記録は残っているが、それがパチョゲン地区なのかは「確認のしようがない」とのことだった。

 ■「全土300人以上」の記録も

 日本はインドネシアとの個別の平和条約(58年発効)に基づき約2億2千万ドル(約803億円)を賠償し、戦後処理の一環として約1億8千万ドル(約637億円)の経済協力などを実施した。慰安婦問題の償い事業のため、日本政府の主導で95年に設立された「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)も償い金として3億7千万円を支援。インドネシア社会省は高齢者福祉施設69カ所の建設や修繕費に充てた。

 基金の記録によると、スラウェシ島の21カ所を含め、インドネシア全土には少なくとも40カ所弱の慰安所があり、300人以上の慰安婦がいた。これらの数字は「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」などに基づくものだ。

 基金は調査報告書でインドネシアには中国、朝鮮、台湾出身の慰安婦もいたが、「多くは村落社会から募集された」と指摘。軍が管理した慰安所以外に「特定の部隊が独自に女性を集めて自分たちだけが利用した私設の慰安所のようなところ」もあったとした。

 93年に現地調査した日本弁護士連合会は女性8人から「慰安婦にされた」との証言を得た。その報告書に「慰安所が各地に設けられ、若い女性が性的関係を強要された」とまとめた。

 ■内容は克明、答えに矛盾なし

 取材班は今年7月、スラウェシ島に約2週間滞在し、元慰安婦や目撃者と名乗る約20人と会った。インドネシアには多様な地域語があり、多くの場合、日本語からインドネシア語、そして地域語に2度の通訳を介して話を聞いた。取材を拒む人や、記事にしない条件で話す人もいた。

 彼女たちの証言を完全に裏付ける資料は見つからなかったが、内容は克明で信用できた。連行の様子や閉じ込められた部屋の特徴、どんな辱めを受けたか、解放後どうやって帰宅したか、どれも具体的だった。

 金銭を受け取ったか、どうして逃げなかったのかという話しづらいことも聞いた。金銭を受けたという人はおらず、見張りや仕返しが怖くて逃げられなかったという答えが相次いだ。同じことを角度を変えて何度か聞き直しても答えに矛盾はなかった。70年たった今も彼女たちは苦しみ続けていた。

 (鬼原民幸、板橋洋佳)

 <報道の経緯>

 朝日新聞は90年代の慰安婦問題に関する数千枚の外交文書を情報公開で入手し、当時の政府高官らの証言とあわせ、慰安婦問題の拡大を防ごうとした日本外交の裏側を10月13日付朝刊で詳報した。日本政府が当時、韓国で大きくなった慰安婦問題が他国に波及するのを恐れ、東南アジアで聞き取り調査をしなくて済むよう動いていたという内容。

 ■日本兵から性被害を受けたという女性たちの主な証言

【名前】 証言内容

     *

【テンバ】 自宅から連行。昼は紡績工場で強制労働、夜は宿舎から出られず。特定の日本兵が毎週のように部屋へ。4カ月後に解放。家族に打ち明けてこなかった。

【イタン】 市場から複数の女性とともに連行。3畳ほどの部屋で3カ月間、何人もの日本兵の相手に。自殺も考えた。今も寝る前や食事の時に記憶がよみがえる。

【チェンボ】 道端で物売り中、常連の日本兵によって連行。3カ月の監禁後、その日本兵と結婚し妊娠。終戦で離別してから連絡が取れず、1人で子どもを育てる。

【ミナ】 畑の帰りに父親の目の前で連行。1年以上、毎日複数の日本兵に辱められる。誰も避妊せず2回妊娠し、流産した。銃で殴られ右目を失明した。

【ミナサ】 自宅近くの森に連行。草を布団代わりにして犯される。終われば帰宅できたが、3人の日本兵がほぼ毎日やって来た。今も日本人が怖く、憎んでいる。

【アティ】 自宅から日本軍管理の石灰工場へ連行。朝から働き、午後は部屋に複数の日本兵が。数カ月後に隙を見て逃亡。心が壊れた体験で、詳しく話したくない。

【サニアガ】 村長に命令され日本軍の施設に。強制労働中に何度も「バッキャロー」と言われた。自分の経験は話せないが、日本兵の子を妊娠して殺された女性もいた。

 (敬称略。すべて取材班への証言。現在の年齢はいずれも80~90代)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201311270675.html?_requesturl=articles/TKY201311270675.html&ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201311270675