2013年10月8日火曜日

日本政府 野田政権 1

慰安婦協議再開「首相次第」 斎藤前官房副長官一問一答

慰安婦をめぐる昨年の日韓協議で、官邸で中心的な役割を果たした斎藤勁・前官房副長官との一問一答は次の通り。

――一昨年の京都での首脳会談後、官邸ではどんな話し合いがありましたか。

「東日本大震災関連や尖閣諸島をめぐる対応など多くの重要案件が山積していたが、野田首相や外務省幹部と協議を重ねた。元慰安婦の被害者のみなさんが高齢化しているなか、何とか合意に達したいと考えた。もっとも大切なのは日本として、どうやって被害者に気持ちを伝えるかということだった」
「そこでまず(昨年の)3月に当時の佐々江賢一郎・外務次官が訪韓し、外交通商省(現・外交省)の次官と、李明博(イミョンバク)大統領の実兄で日本通で知られた李相得(イサンドゥク)さんらに日本政府としての基本的な考え方を伝えた」

――韓国側に示した、三つの提案はこれまでの日本の姿勢からはかなり踏み込んだ内容ですね。

「このまま問題を放置すれば、両国関係は大変なことになるという意識が官邸にも外務省にもあった。外務省が、ギリギリこの線までなら、と決断した」

――韓国側の反応は。

「それがしばらくたって、受け入れられないという返事が来た。どういうことなのかと昨年4月、今度は私が野田首相の親書を持って直接韓国に乗り込んだ。基本的な考え方は佐々江次官が伝えた内容と同じだが、私自身が日韓関係や平和問題にかける思いなど、1時間以上にわたって話し、政権として解決する意思があるということを、官房副長官の立場から強く訴えた」

「だが、具体的な中身に入る以前の話として、受け入れられないという。慰安婦問題の支援団体の反発を気にしたのだろう。私は率直に言って、韓国政府はこれまで支援団体と親身になって話し合ってきたのか、と思った。正直がっかりした」

――夏には大統領が竹島に行き、日韓はいっそう険悪な空気に覆われました。

「春に我々が提案した時、うまくいっていれば竹島に行くような事態は避けられただろう。竹島訪問後、めちゃくちゃになった日韓関係を見て韓国側もことの重大さに気づいたのか、秋から慰安婦問題で急接近し始める。かえすがえすも残念だ」

――秋の接近とは。

「韓国政府の人事異動などで日本通が減っていき、外交ルートは機能しにくくなっていた。だが解決せねばならない問題だという我々の思いは変わらなかった。私は首相と直結していた。韓国側でも大統領に意思を伝えられる人がいれば、と思っていたところ、大統領の側近が特使として韓国からきた」

――話は進みましたか。

「いっきに進んだ。大統領からも『解決の意思あり』と伝えてきて、事実上のトップ同士のやりとりとなった。春の提案をもとに、首相が被害者にあてて書く手紙の表現だけが最終的に残った。韓国側からは特使が複数回にわたって来日し、文言を詰めた。12月に韓国の新大統領が決まるので、そこがリミットだろうと。可能なら11月にプノンペンである東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会議の際の会談で、両首脳が合意できるのが望ましいと考えていた」

――どうして実を結ばなかったのですか。

「詰めの協議をしているうちに、首相が党首討論で解散を宣言してしまい、一方で韓国も完全に大統領選モードに入っていた。表現は、やる気さえあれば乗り越えられる問題だった。もう少し時間があれば合意できていた」

――日本には、慰安婦問題に否定的な主張もあります。合意後の反発を予想しましたか。

「どの政党であれ、平和国家でありたいと願っているのは同じだ。過去にはいろいろあったが、近隣諸国と仲良くしたいという思いも同じ。確かに日韓は基本条約を結んだが、それですべてが解決したわけでもないし、一方で課題を克服できないわけでもない。私たちが何か逸脱したことをしたのでは決してない」

――慰安婦問題の支援団体は日本の法的な責任の認定を求めており、納得させられないのでは。

「昨年、解決に向けた努力をする中で、日韓の支援団体の方々とも会った。団体側も実際にはかけ離れた主張をしているわけではないことがわかった。日本側の提案に一定の評価さえも受けたほどだ」

――日韓で政権が代わった今も、政治の責任で解決を目指すべきだと思いますか。

「昨年、日中韓首脳会談が開かれた北京では、3カ国の学生たちが迎えてくれた。京都の立命館大と韓国・釜山の東西大、中国・広州の広東外語外貿大の学生が2年間、3カ国を巡回して授業を受ける『キャンパス・アジア』のメンバーたちだ。政治の関係がどうであろうと、学生たちは一緒に毎日を過ごす。市民同士の交流に比べ、完全に政治の方が後れをとってしまっている」
「政治の責任は国民の命と安全を守ることなどというが、何もそれは現在のことだけではない。将来の国民の安全を守るのも政治の責任だ。地域を安定させねばならない」

――昨年の協議がいつか日の目をみる可能性があると思いますか。

「新政権になったので、昨年の話をそのまま再開させるのは困難だろう。ただ、双方が歩み寄り、合意が近かったのは事実。それをどうみるかは安倍晋三首相の判断だ。7年後の東京五輪が決まった。平和の祭典がアジアで開かれるのなら隣国との関係もちゃんとしたい。日本はしっかり歴史を見つめて歩んで行くのだと、アピールできるチャンスでもある」

「もし政府間ではどうしても時間がかかるというのなら、市民レベルで小さな集まりを重ね、どう解決するのかを徹底的に話し合って共通の認識を作っていくべきだ。その次に非公式にこれまで問題解決にかかわってきた人たちが加わり、最終的に両政権に上げていくしかない」

――日韓関係は楽観できますか。

「これまで培ってきた市民交流や経済の結びつきは健在だ。アジアでエネルギーを融通しあうなど、協力は不可欠。民間レベルでどんどんやって政治を動かしてほしい」(論説委員・箱田哲也)



斎藤勁(さいとう・つよし) 横浜市議、参院議員を経て昨年11月まで民主党衆院議員。11年9月から野田政権で官房副長官。68歳。

朝日 2013.10.8

日韓慰安婦協議「合意間近で衆院解散」 斎藤勁・前官房副長官に聞く

野田政権で慰安婦問題の政治決着を目指した斎藤勁・前官房副長官に聞いた。

「一昨年の日韓首脳会談後、野田佳彦首相や外務省幹部と協議を重ねた。大切なのは日本政府として、どうやって被害者に気持ちを伝えるかということだった。そこでまず昨年3月に当時の佐々江賢一郎・外務次官が訪韓し、外交通商省の次官や、李明博(イミョンバク)大統領の実兄で日本通の李相得(イサンドゥク)さんらに基本的な考え方を伝えた」

「従来よりかなり踏み込んだ内容を韓国側に示した。外務省がギリギリこの線までならと決断した。だが、受け入れられないという返事が来たので、今度は私が野田首相の親書を持って韓国に乗り込んだ。解決する意思があるということを強く訴えたが、それでもダメだという。慰安婦問題の支援団体の反発を気にしたのだろう」

「だが、昨年夏に大統領が竹島に行き、めちゃくちゃになった日韓関係を見て韓国側もことの重大さに気づいたのか、秋から慰安婦問題で急接近し始めた。大統領側近が特使として韓国からきた」

「大統領側が『解決の意思あり』と伝えてきたため話は一気に進んだ。日本提案をもとに、首相が被害者にあてて書く手紙の表現だけが最終的に残った。特使は複数回にわたって来日した。12月に韓国の新大統領が決まるので、そこがタイムリミットだろうと」
「だが、詰めの協議をしているうちに、首相が解散を表明してしまった。韓国も完全に大統領選モードに入っていた。表現は、やる気さえあれば乗り越えられた。もう少しだった」

「どの政党であれ、近隣諸国と仲良くしたいという思いは同じ。日韓は基本条約を結んだが、それですべてが解決したわけでもないし、課題を克服できないわけでもない。私たちが何か逸脱したことをしたのでは決してない」

「日韓の支援団体とも会ったが、かけ離れた主張はしていなかった。昨年の話のまま協議を再開させるのは困難かもしれないが、双方が歩み寄り、合意間近だったのは事実。それをどうみるかは安倍晋三首相の判断だ。東京五輪の開催も決まっただけに、(慰安婦問題の政治決着は)日本が歴史を見つめていくのだと世界にアピールできるチャンスだ」

(論説委員・箱田哲也)

朝日 2013.10.8
http://digital.asahi.com/articles/TKY201310070681.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201310070681