2013年10月5日土曜日

FJ 23 Q&A

10 証言は矛盾だらけ?

A:「証言の度に話が変わっている」「陸軍や他の政府機関によって強制的に働かされたという言及はない」(「THE FACTS」2007.6.14)等、被害者の証言を否定するような主張があります。しかし、当初の証言になかったからその事実はないと言いきれるでしょうか? また、証言が変わるから証言自体、信用できないと言えるでしょうか? ここでは被害者証言への向き合い方について考えてみます。



1、記憶とトラウマ

まず、証言全体を見て言えることですが、確かに被害女性の証言には、「いつ」「どこで」「誰が」などが曖昧なものもあります。中国や東ティモールの被害女性をはじめ被害証言の中には、自分の生年月日すらはっきりしないものもあります。また、連れていかれたところが中国だとは分かっても、地名まで覚えていないケースもあります。

例えば文必ギさんの場合、汽車に乗せられて慰安所に連れて行かれますが、新義州を経て「満州」に入ったことは覚えていても、自分が入れられた慰安所があった土地の名前や、その慰安所を使用していた部隊名を思い出すことはできません(アクテイブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編 『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅰ―南・北・在日コリア編 上―』明石書店2006年P165~P177)。



しかし、慰安所の詳しい説明や、日本兵が大勢来たこと、軍人が慰安所の歩哨に立っていたこと、どのようにして連れて行かれたかなど、驚くほど詳細に記憶していることもあります。彼女が詳細に語る「何があったのか」の中にこそ、長い時間を経ても忘れることのできない痛みと苦痛の体験があるのです。たとえ一部分の記憶が抜けているとしても、固有名詞を記憶していないとしても、だからと言って証言全体を信憑性が無いといって切り捨てることはできません。



記憶の問題は、長い年月が経ったことにより忘れてしまったこともありますが、例えば朝鮮女性の場合、日本の植民地支配下、特に女性であったことも手伝い、女性の普通学校の完全不就学は1932年の時点で91.2%に及んでいます(金富子『植民地朝鮮の教育とジェンダー』世織書房2005年)。学校教育を十分に受けることができなかった結果、字が読めない女性も少なくなく、文字としてではなく、耳で聞いた音の記憶に頼らざるを得なかったのです。被害女性の証言を聞く時、そのような状況への理解も必要です。



また、記憶の断片化、記憶の断絶は、女性たちの被害の大きさでもあるのです。記憶の断片化について精神科医の桑山紀彦氏は、「1つ1つの記憶は非常に鮮明であるにもかかわらず、その相互、あるいは時間的な前後の繋がりがはっきりしないという現象である」と説明します。またトラウマの本態について、「人間が経験する上で著しい苦痛を伴い、生きる希望を打ち砕き、大切な人間関係を崩し、二度と立ち直れないかと思うほどの出来事に遭遇してこころが傷ついたその状態をいう」としています(桑山紀彦「中国人元『慰安婦』の心的外傷とPTSD」『季刊 戦争責任研究』第19号、1998年)。



ジュディス・L・ハーマンによると、これはトラウマを持つ人の外傷性の記憶の特徴です(ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』みすず書房1996年)。初めて口を開いた時、被害女性はまだ重いトラウマを背負っています。つじつまが通っていないと思われるようなぶつ切りの断念的な証言がなされるのはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状です。しかし、自分の話をきちんと聞いてくれる人がいるという「安全の確保」(想起と服喪追悼・再結合と共に回復過程の1つ)がなされる中で、次第に凍りついた記憶は解凍していくのです。



90年代になり、女性たちが沈黙を破り自分の身に起きたことを語り始めたのは、ハーマンによれば「回復過程」でもあるのです。自分の体験を危害を加えずに聞いてくれる人がいるという環境の変化は、被害回復への扉を開く1つのきっかけになったといえます。そうした女性たちの証言に対して「でっちあげだ」「お金が欲しくて嘘を言っている」等とただ攻撃するのは、被害女性に更なる暴力を加えることに他なりません。



2、金学順さんの証言をどう見るか?

しばしば金学順さんの証言について、提訴した時の訴状に書かれた連行状況とその後の証言とニュアンスが違うとか、妓生だったことを隠していた等を挙げて証言を否定する人がいます。例えば『慰安婦と戦場の性』(秦郁彦著)では「金学順証言の異同」という表が掲載されています。この中の「f 慰安婦にされた事情」ではABCとそれぞれの「連行」証言が書かれていますが、よく見れば矛盾が無いことが分かります。Aは「北京の食堂で日本将校にスパイと疑われ養父と別々に、そのままトラックで慰安所へ。・・・」、Bは「Aに同じ」、Cは「養父をおどして日本兵が慰安所へ連行、・・・・」とあります。この場合の「異同」の「異」を挙げるとしたら「養父をおどして」の部分ですが、「スパイと疑われ」のやり取りの中で養父が脅されたということであったといえ、全く相反する証言ではありません。しかも、養父とバラバラにされていた金さんが日本兵にトラックに乗せられ慰安所に連行されたことは違いないわけですから、証言のたびに内容が異なるとは言えません。証言を重ねる中で思い出されたり、鮮明になることもあるでしょう。当初の証言に無かったからといって証言を全面的に否定することはできません。



また、「慰安婦」にされた女性が妓生であったかどうかは関係ないのです。無理やりトラックに乗せて慰安所に連れて行ったということが、連行の問題なのです。仮に本人が知らないところで養父が彼女を軍人に「売った」というのであれば、日本軍が未成年の女性の人身売買に関わったということになります。そうであれば当時の刑法に違反する犯罪であり、それはそれで重大な問題です(刑法第224条「未成年者略取及び誘拐」には、未成年者を略取又は誘拐してはならないとしていますし、第225条(営利目的等略取及び誘拐)は、営利、わいせつ又は結婚の目的で、人を略取又は誘拐してはならないとしています。



3、河野談話も歴代総理も「証言」にみる強制性を認めてきた

河野談話は、「慰安婦」の徴集と慰安所における強制性を認めています。談話を発表した河野洋平氏はその理由について、16人の被害女性から話を聞いたが、「明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信憑性がある。信頼するに十分足りうるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えるということがわかってきました」(女性のためのアジア平和国民基金『オーラルヒストリー アジア女性基金』2007年3月)と話しています。



橋本龍太郎首相以来、第一次安倍内閣を含めて歴代の内閣総理大臣は河野談話を踏襲してきました。「強制」を認めた説明として政府は、「政府が調査した限りの文書の中には、軍や官憲による慰安婦の強制募集を示すような記述は見当たりません。総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで判断した」と、答弁してきました。いわば、歴代政府も被害者の証言を認めてきたのです。



4、責任の所在を立証するのは被害女性ではない

そもそも、被害女性の証言に、自分が入れられた慰安所を誰が管理・監督していたのか、誰の命令で設置されたのか、誰の命令で自分たちはそこに連れてこられたのか、事実関係の立証を求めるのは無理な話です。彼女を直接だましたのが警官や区長、業者だったとしても、誰が集めるように指示したか、「首謀者」「命令者」については、彼女は知る由もないからです。



このように、責任の主体が被害女性の証言に出てこないからといって、その事実はないということはできません。むしろ、被害女性たちの数々の証言を通して見えてくるものが何であるのかを明らかにすること(真相究明)は、被害者ではなく、日本政府の責任です。