2013年10月5日土曜日

FJ 入門篇 1

1 日本軍「慰安婦」とは?

日本軍「慰安婦」とは、1932年の第一次上海事変から1945年の日本の敗戦までの期間に、日本の陸軍と海軍が戦地・占領地につくった慰安所に入れられて、日本の軍人・軍属の性の相手をさせられた女性たちのことです。



「慰安」というのは、本来は慰さめて心を安らかにするということで、慰安所とは心のオアシスというような意味で用いられていましたが、軍人が性交する場所という事実をかくすために、軍はこの用語を選んだのでしょう。



「慰安婦」にされた人たちは、日本人・朝鮮人・台湾人・中国人・フィリピン人・インドネシア人・ベトナム人・マレー人・タイ人・ビルマ人・インド人・ティモール人・チャモロ人・オランダ人・ユーラシアン(白人とアジア人の混血)などの若い女性たちです。そのうち、朝鮮人・中国人・フィリピン人・インドネシア人など日本人以外の女性の比率が圧倒的に多かったのです。



女性たちのほとんどは経済的に貧しい家庭の出身か、戦争のため苦境に陥った女性たちで、略取(暴行・脅迫を用いて連行すること)・誘拐(だましたり、甘言をもちいて連行すること)・人身売買により慰安所に入れられています。



また、日本が加入していた婦人・児童の売買禁止に関する国際条約(1910年の醜業を行はしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約と1921年の婦人及児童の売買禁止に関する国際条約)は、満21歳未満の女性を国外に連れて行くことを、本人が同意していても禁止していますが、「慰安婦」にされた女性には、未成年の少女も多く、公文書によれば、台湾からは14歳の少女が広東省の慰安所に連行されています。

日本軍は、日本が占領した中国・東南アジア・太平洋地域に慰安所をつくりました。インド領のアンダマン・ニコバル諸島や、日本の委任統治領だったパラオやトラック島にもつくりました。国境に近い北朝鮮や千島列島にもありました。アメリカ軍が日本に迫ってくると、台湾や沖縄に日本軍部隊が派遣されたので、ここにもつくりました。また、本土決戦用の部隊が集結した1945年には南九州や四国、房総半島などにもつくりました。



1991年に韓国人の元「慰安婦」だった金学順さんが50年近い沈黙をやぶって名乗りでてから、日本軍による重大な人権侵害として、大きな問題となりました。日本政府は、「民間業者」が連れ歩いていたのであって、軍は関与していない、と答弁していました。しかし、1992年に軍の深い関与を示す公文書が発見されると、答弁を撤回し、1993年に軍の関与と重大な人権侵害であることを認める河野洋平官房長官談話を発表しました。



「慰安婦」という用語は、実態をかくす用語なので、近年はカッコをつけて用いられています。国際的には、「慰安婦」制度は、“Sexual Slavery”(性奴隷制度)と表記されます。

1930年代から第二次世界大戦中に、このような軍中央が承認する全軍的な制度をもっていた軍隊は、日本軍以外にはほとんどありません。ドイツ軍は、類似した制度をもっていたようですが、第一次世界大戦後のドイツは植民地を持っていなかったので、日本軍のように植民地から女性たちを集めて連れて行くということはありませんでした